テツの箱をつくる人の徒然

「電車小像の鉄道日記」を放ったらかして1年。ブログ、再開しました。

夏の北海道満喫旅行 ①

これまでも記事には書いてきているのですが、

大学生になってからの私は、毎年の春休みに、北海道へ旅に出かけます。

もちろん目的は鉄道で、大抵は乗り潰しをしにいくわけなんですが、

春休みと言っても2月の末とか3月の初旬でしたので、北海道はまだまだ寒く、

春というより冬の様相しか見たことがありませんでした。

(一応、高校の修学旅行で5月頃にも行った経験はあるのですが)

 

そんな私ですが、今回ついに、夏の北海道へと行って参りました。

富良野に美瑛や旭川と言った道央の地域を中心に、札幌や小樽も楽しんだ3泊4日の旅行。相方との二人旅です。

あくまで今回は相方との旅行なので、鉄分は控えめに、、したつもりでしたが、、、

 

美味しいものをたくさん食べて、素敵な景色をたくさん見られた、北海道大満喫の旅行を綴っていきたいと思います。

 

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新大阪駅にて

大阪から北海道への往路は、Peachを利用。

そのため関西空港へ向かうのですが、せっかくだから「はるか」に乗りたいと、わざわざ新大阪にやってきました。

鉄分を排するつもりが、初っ端からガッツリです。。

そんなわけで向かった新大阪には、最近床下がグレーになった201系が停まっていました。

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特急はるか 29号 新大阪13:30 → 関西空港14:20

やって来たはるかは、ハローキティ仕様の編成でした。

順次全編成がハローキティ化するとのことで、すっぴんの姿もしばらく見納めになりそうですね。

チケットレス特急券で、お安く快適に関西空港へと向かいます。

 

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MM109便 関西(KIX)16:15 → 新千歳(CTS) 18:15

出発が遅めですが、これは敢えてのスケジュール。

関空からは3便ある千歳行きの、最終便で北海道を目指します。

仕様機材の到着遅れとのことで、出発、到着ともに40分ほど遅延してのフライトになりました。

 

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快速エアポート 193号 新千歳空港19:15 → 札幌19:52

Peach きた北海道フリーパス」を購入して、列車に乗り込みます。

初日の目的地は札幌なので、この日乗車したのはこの快速エアポートだけ。

自由席もクロスシートな721系がやって来ましたが、大きい荷物があることもあって、

uシートでらくらく快適で札幌までの時間を過ごしました。

 

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ザンギとサッポロクラシック

札幌に着いたら、まずは晩御飯。

ザンギを求めて、地下鉄東豊線さっぽろ駅近くにある居酒屋に行きました。

ビールはもちろんサッポロクラシック。北海道に来たら、これじゃないとね。

2月に来た時に入って気に入ったお店でしたが、やっぱり美味しかったです。あと安い。

 

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シメパフェ、と言うらしい。

宿はススキノの近くで取っていたので、荷物を置いてしばし休憩したら、夜の街に少し繰り出してみました。

お酒を飲んだ後のシメというと、ラーメンだったり、お茶漬けだったり、そういうイメージ。でも、最近は、シメにパフェを食べる文化が流行り始めているのだとか。

札幌発祥のものということで、我々も本場のシメパフェを試してみようとなったわけです。

私はインスタグラムとかもやってませんし、全くこういうのには疎いので、これは相方との旅行だからこそ触れられる文化だなと思います。

雑居ビルの中の小さなお店で、私はほうじ茶のパフェをいただきます。

思ったよりボリュームがあって驚きましたが、何よりそれを0時を回って食べていることの罪深さが・・・満足です。

 

さて、初日はスタートがゆっくりだったこともあって、これで終了。

翌日からが予定ぎっしりなので、備えてゆっくり休みました。

続きます。

 

国鉄型の生き残りを撮りに。-弾丸新潟ドライブ-

せっかく意を決してブログのお引越しをしましたので、

研究の合間を縫って、新ブログ初記事の投稿を。

 

ネタはやや古いですが、今年5月のお話。

新潟から山形県の酒田までの間を走る観光列車「きらきらうえつ」が引退し、新観光列車「海里」に置き換えられると発表があったのは昨年の10月のことでしたが、それを受けて昨年末には「きらきらうえつ」の乗車を果たしてきました。

しかし、やはり乗るだけでなく、撮って記録にも残したい。

そういえば、新潟には様々なカラーリングが復刻されていく115系もいる。こいつらもいろいろ撮りたい。

どうも行ける日程を照らし合わせると、「越乃Shu*Kura」もの柳都Shu*Kuraとして新潟駅へとやってくる日らしい。

そう考え始めると、あぁ、もう行くほかないとなりまして、大学の友人を誘って出かけることを決定しました。

 

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道の駅 親不知ピアパークにて


レンタカーを借りて、金沢を夕方に出発。

富山で夕飯と、風呂屋によってカラダもさっぱり。

時間はあるのだからということで、ひたすら下道を新潟に向けて進みました。

運転者は私1人なのでそこそこに過酷ですが、そんなお出かけもこれまでに何度もしてきているので慣れっこです。

 

夜が明けたら、まずは越後線115系を撮影しに向かいます。

 

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信濃川分水橋梁にて

この日最初の撮影は、柏崎から吉田へ向かう125M。

分水〜寺泊間にある、信濃川分水橋梁で撮影しました。石積みの橋脚がいいですね。

115系カラーガチャの結果は、前が湘南色、後ろが懐かしの新潟色でした。

湘南色はこれまでも何度か見ているので、個人的には前後逆だとより良かったのですが、まあこれはこれで良し。

 

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粟生津〜分水間にて

続いて、5分ほど車を北東に走らせた場所で、寺泊行きの132Mを撮影。

今度は三次新潟色の編成がやってきました。

この色は個人的にとても好きなので、なんとかこのドライブ中に確保したいと思っていました。撮れて朝からいい気分。

 

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粟生津〜分水間にて

さらにもう少し東に進んで、もう1列車撮影。
129Mで、こちらは弥彦色編成でした。

新潟の115系はこれまでも何度か見ているのですが、弥彦色が復活してから来たのは初めて。とても気になっていたカラーでした。思わず内心ガッツポーズ。

 

 

7時から8時半頃にかけて、コンスタントに115系を確保できる素敵な時間を過ごして、さて、ここからが本番。

一気に村上まで車を走らせます。

新潟県は本当に細長く、吉田付近から村上まで、下道のみの利用で約2時間半。

ドライブの大半は新潟県内を走っている、そんな感じです。

 

新潟市内のバイパスで若干の渋滞に巻き込まれたものの、基本的には順調に撮影ポイントまでやってこれました。

それでも、列車の通過までは時間ギリギリ。

もちろん練習電なんてありませんので、ささっと構図を決めて、待ち構えます。

 

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村上〜間島間にて

新潟を発車ししてからしばらくは内陸を走っていた羽越本線も、村上からは車窓に日本海を望む、観光列車の走る路線らしい風景を見せます。

我々も、そんな場所からお目当の「きらきらうえつ」を撮影。

昨年末に乗った時は、なんだかすごく楽しくて、この辺りではすでに結構酔っ払っていたような気がします。飲みすぎたわけではないのですが。

 

何時間もかけてやって来た村上ですが、すでに時刻はお昼前。

区間高速道路を使っても4時間以上かかる村上からの帰り道。

まだまだ予定もありますので、名残惜しいですが、とんぼ返りです。

 

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中浦〜月岡間にて

ピューっと新潟市近くまで戻って来ました。(ここは新発田市

とは言っても、新潟の市街地方面は行かず、新発田からそのまま羽越本線に沿って新津に抜けるルートをとります。

この日は盛りだくさんで、East i-Dことキヤ143系の羽越本線計測がありました。

日本海に面したところで撮るのが理想的ではありますが、村上付近で撮影しているとその後の予定をこなせないので、ここまで先に戻って来ておいたわけです。

East i-D、初撮影でした。

 

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北長岡〜押切間にて

じわじわと金沢に近づいていくように、今度は長岡まで戻って来ました。

最後のターゲットは、冒頭でも書いたように、柳都Shu*Kuraとして信越本線を新潟まで往復してくる「越乃Shu*Kura」。

どんな風に撮ろうかと色々試している間に撮ったE129系は、これまであまり撮ろうと思ったことのない車両であったこともあり、後打ちではありますが、まともに撮影したのはこれが初めてになりました。

 

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北長岡〜押切間にて

よしこう撮ろうと位置を決めたところで突如やって来た、国鉄急行色のキハ47+48。

時刻表に載っていない時間に踏切が鳴り出したと思えば、遠目に国鉄色が見えたので慌てました。

これはラッキーでした。

 

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北長岡〜押切間(長岡〜燕三条間)にて

北長岡を過ぎてから、じわじわ信越本線から離れていく上越新幹線

撮影していたポイント付近ではまだすぐそこで、時折通過していく新幹線も眺められる楽しい場所でした。

そこを通り過ぎて行ったのが「現美新幹線」。

なんだ、何か黒いのがいるぞ?と、最初何が走っているのかわかりませんでした。

防音壁で見づらいですが、それでもわかる、賑やかな側面ですね。

まさか撮れるとは思っていなかったので、これもラッキーでした。

 

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北長岡〜押切間にて

そしてお目当、「越乃Shu*Kura」。

出場してまだそれほど経っていなかったのか、とても綺麗な車体でした。

これに乗ったのも、もう2年前の話。

日本酒大好きな私には最高なこの列車、金沢にいる間に、なんとかもう一度乗りに行きたいものです。

少し風が吹いてしまって、先ほどの国鉄色キハの時より水鏡が乱れてしまいましたが、まあでも満足です。

 

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北長岡〜押切間(長岡〜燕三条間)にて

最後に、引退へのカウントダウンが進むE4系の姿を確認して、今回の撮影を終えました。

E4系は乗りに来ないと。

 

この後はもう、レンタカーの返却時刻に間に合うように、安全運転には最大限注意を払いつつ、ババーっと金沢へと帰りました。

途中でガス欠になりかけたのには焦りましたが、糸魚川で給油したら、案外安くついたり。旅にトラブルはつきものですね。

 

このドライブの後から就職活動のラストスパートがかかりまして、今日に至るまでこれといった大きなお出かけができていません。

そろそろ大きい旅に出たいところです。来たれ、夏休み!

 

 

7年目の再スタート

Yahoo!ブログのサービス終了に伴い、引っ越してまいりました。

 

少し、自己紹介。

鉄道旅行を中心に、鉄道ネタでこれまで記事を書いてきました。

高校生の頃に前ブログを開設し、今年で7年目になります。

私自身は、地元大阪から大学進学に伴い石川県の金沢へとやってきて、現在は4年生。日々研究に励んでいます。

そして、来春からは再び大阪に戻り、社会人デビューの予定です。

 

子供っぽい、少し頭の悪い拙文を書いていた頃から(たぶん)成長し、いまでは「誰かに読んでもらう」ことを意識して記事を書いています。

それでもまだまだ大した文章は書けませんが、どこかに出かけた時、何か面白いものを手にした時など、時間を見つけて記事を投稿できたらなと考えています。

 

7年目、まさかこのタイミングで新たにブログを開設することになるとは思いませんでしたが、これからどうぞよろしくお願いします。

TOP 令和元年 五月

ようこそ、電車小僧の鉄道日記へ。
祝!令和!

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ついに平成が終わり、新たなる時代、令和を迎えました。
平成に引き続き、令和の時代も楽しく、健やかに暮らしていけたらなと思います。
平成の間に行った場所、乗った列車。
元前には書ききれませんでしたが、これからも趣味を楽しみ、それを綴っていく所存です。
まずは早く、就活終わらせないとなぁ。
Yahoo!ブログとして続けられる時間ももう長くはないですが、これからも電車小僧の鉄道日記をよろしくお願いします!


帰路、思わぬ出会い。

1日目の夕張支線に続き、2日目の札沼線末端区間も、かつて車両故障に阻まれ到達できなかった雪辱を果たし、あとは千歳から大阪へと帰るだけになりました。


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滝川からは特急オホーツクで札幌へ。
元々は普通列車で帰るつもりでしたが、ちょうどキハ183系が来るというのならば、少々の特急料金代をケチるのは後悔のもと。
札幌までの1時間ほど、長い直線区間函館本線を快調に飛ばす気動車特急に揺られます。
ちなみに、前日の千歳から夕張、新十津川と旅程を共にして来た後輩はここでお別れ。
彼は隣のホームに入線している特急カムイに乗り込んで、旭川、網走方面へと向かったようでした。

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札幌では、辛くも活躍を続ける785系など、少しばかり列車を撮影。

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座れること(あと、721系が来ること)を期待して、快速エアポートは一本見送りました。結局、やって来たのは733系でしたが。
待った甲斐あって座ることはできましたが、発車間際に乗り込んで来た老婦人に席を譲ったために、結果的にはずっと立っていることに。
まあ、徳は積んだということにしておきましょう。

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立ったままぼーっと北の大地の景色を眺めていると、南千歳で、車窓のはるか先に、何やら怪しい影を発見。
あ、政府専用機じゃないか。
「あ!政府専用機だ!」と声に出そうになるのを抑えつつ、慌てて下車。
徳を積んだ成果が早速出たかな、座っていたらこれは気づかなかったな。
オホーツク課金をしたおかげで予定よりもかなり時間に余裕があったので、途中下車して近くまで行ってみることにしました。

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思ったより遠かったなぁと思いつつ、ザクザク足跡を辿り進みます。

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おぉ・・・
息を呑むような美しさ、ANA機でもJAL機でもない、「日本国」のB747
背景が青空でないのが惜しまれますが、それでも、機は輝きを放っています。
退役間近だったからなのか、あるいは駐機中はそういうものなのか、エンジンにかけられたカバーもまた、何か特別な雰囲気を醸しています。
千歳が政府専用機の基地だとは知っていましたが、この近さで見ることができたのは、とても嬉しい出会いでありました。

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就役から26年もの時間が経っているとは思えない、艶やかな機体。
3月末に後継機・B777ERとの交代式を経て、無事に退役した専用機2機は、今後入札を経て売却されるとのこと。
今後も大きなトラブルなく飛び続け、後継のB777もまた、新たな政府専用機として華麗に飛び回ってほしいところです。

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その後継機も、格納庫の向こうに、お尻だけ見えていました。
B747と違い、カーブを描いた帯の機体デザインが新しさを感じさせます。
早速先週あたりから任務飛行が始まりましたが、いつか、飛んでいるところを撮影してみたいです。

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政府専用機という、全く考えていなかった嬉しい出会いに旅の満足感は最高潮。
気持ちよく、帰りの飛行機に乗り込みます。
帰りもAIR DO
大型の政府専用機を見た後にはB737が非常に小さな機体に感じてしまいますが、私はこの機体がとても好きなのです。

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2日目は雲の多めな空模様でしたが、飛んでしまえば雲の上。
青い空を眺めつつ、快適に神戸空港へ、そして大阪の実家へと帰りました。


廃線になってしまう前の夕張支線に滑り込みで乗車できたうえ、念願の札沼線リベンジも果たし、さらには政府専用機も撮れてしまう濃さ。
北海道に1泊2日で行ってくるというと、周りから短すぎるだのもったいないだの色々お言葉はいただきましたが、大満足な内容でした。
北海道、まだまだ乗れていない路線も多くあります。
どんどん乗らないと。
日本全国乗りつぶしを夢見つつ、北海道にはまた行かねばなりません。

以上です。

終着駅・新十津川へ

早朝から札沼線を北上してきて、いよいよ浦臼以北、一日一往復の区間までやってきました。

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浦臼を越えた頃にはすっかり陽も高く、差し込む光も昼の明るさになってきました。
青いモケットのボックスシートが、旅情を誘います。

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浦臼を出て25分ほど。
あっさりと、終点の新十津川に到着してしまいました。

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途中駅であった名残か、石狩沼田方面へ少しだけ伸びている線路。
車止めは雪に埋もれているのか視認できず、さながら、未だに鉄路が続いているような感覚に陥ります。
ここから先、留萌本線の石狩沼田までの鉄路が失われたのは半世紀近く前のことで、航空写真を見てもほとんどが農地と化しており、その名残はあまり多くは感じられませんでした。
なお、既廃線区間の最大の遺構は新十津川駅からほど近い徳富川にかかる橋梁跡で、これは航空写真はもちろん、ストリートビューなどからも確認できました。

隣駅は下徳富駅となっていますが、2006年までは下徳富~新十津川間に中徳富という駅も存在しました。
なお、その中徳富駅は2代目だそうで、初代中徳富駅は、この新十津川駅なのだとか。

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2年越しのリベンジを果たしたこの旅。
「歓迎 ようこそ新十津川へ」という言葉が、本当にようやくたどり着いたという喜びの気持ちを高めます。
駅名標に書かれた、「終着駅」という表記にも興奮しますね。

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駅舎内を見てまわります。
ホームへ出る出入り扉の上には、運賃表と発車時刻表が掲げられています。
時刻表には、たった一本、10時ちょうど発の列車のみが記されています。
乗ってきた列車の折り返し、それがここを出る唯一の列車。
始発で最終便です。

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新十津川駅の降車人数を記したカレンダー。
この日は2月22日で、早くも12人と書き込まれていました。
年末年始や土日などは30人から多いと50人近い利用客がいたようですが、それでもキハ40の定員が100名近いことを考えると、利用客は「かなり少ない」と表現できるでしょう。

こういうのを見るとなないか書きたいなと思いつつ、結局何を書けばいいかわからなくなって筆を置いてしまう私。
ホームページに載ると書かれている通り、ホームページで何年ぶんものコメントを見ることが可能です。
なんでもいいから書けばよかったなぁ。

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あまり時間に余裕がないので、名残惜しいですが、折り返しの発車は待たずに駅を離れます。
写真は撮るだけ撮ったし、到着証明書や記念入場券もゲットできたので、大満足です。
来年の廃線までにもう一度来ることができるかわかりませんが、もし来るならば、今度は新十津川から札幌方面に乗って見ると面白いかなと考えています。

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新十津川からの折り返しに乗らないならば、そのあとどうするのか。
これは極めて有名なコースだと思うのですが、新十津川駅から徒歩数分のところにある、新十津川町役場から滝川駅へとバスで移動するルートをとりました。
新十津川から滝川までは、石狩川を挟んで直線距離で2.4km、道なりに歩いても5kmに満たないという至近距離。
かつては札沼線を延伸して滝川につなげようという声もあったようです。
雪の積もった冬場に歩くのは憚られますが、いい時間にバスがあるならば、利用するほかありません。
地元の方の利用もそこそこ多く、滝川に着く頃には(私含めて)立ち客もそこそこ多かった北海道中央バス。230円でした。


夕張支線、札沼線と、乗りたかった路線を制覇したこの旅。
目的を完全に果たし、あとは大阪へと帰るだけです。
帰路、あと少しだけ続きます。


究極のローカル線。

札沼線末端部リベンジは、無事にキハへの乗り継ぎを済ませ、順調に進んでいきます。
北海道医療大学を出ると、来年5月の廃止がアナウンスされている区間へ。
流れゆく車窓の一瞬一瞬を目に焼き付け、まるで自分の足で歩くかのような、鉄路を踏みしめて進むかのような気持ちで、旅を楽しみます。

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雪に埋もれる、車掌車改造の待合室。
北海道を旅していると度々見かける、このスタイルの待合室。
この写真は中小屋駅のもので、札沼線にはこのほかにも、石狩金沢、本中小屋でも見ることができました。
ポツンと置かれた改造待合室のその姿は、古い木造駅舎などとは違った方向性で、旅情を掻き立てられる趣があるなぁと、個人的には好きな存在です。

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こちらもまた、北の鉄路を思わせる景色。
石狩川の対岸を走る函館本線ほどではありませんが、札沼線も多くの区間で、遠くまで伸びるまっすぐな線路を見ることができます。
北海道のスケールを感じますね。

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石狩当別から20分少々が経ち、石狩月形に到着。
ここで、列車はしばらく停車します。理由はもちろん、列車の交換です。
札沼線はここから先、終点の新十津川に至るまでの約30キロにわたり、一閉塞区間となります。すなわち、この先に入線できるのは1列車のみということ。
先ほど石狩当別で切り離し、先に出発した浦臼行きが、折り返して帰ってくるのを待たねばならないというわけです。

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車両の深夜留置があるほか、現在では札沼線非電化区間唯一の交換駅であり、スタフの取り扱いがあることから、石狩当別以北では唯一の社員配置駅となっています。
駅舎も立派です。

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駅前通り。
廃線後は「駅前」ではなくなってしまいますが、石狩当別から浦臼までは代替バスが新設されることになっているようですので、駅はバスターミナルなど、今後はまた違った姿となって、そこに向かうこの道も活躍してくれるといいななんて思ったり。

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17分ほど待って、ようやく浦臼からの列車が近づいて来ました。

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401と402、たった2両の400番台が、ここで並びます。
交換する石狩当別行きには、待合室にいた奥様方が乗り込み、決して多いとは言えないものの、利用者はいるんだよなと感じました。

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スタフの交換風景。
スタフ閉塞が用いられているJRの線区はほかに、越美北線名松線のみで、非常に貴重な存在。(転換三セクなどの地方路線では、ほかにも例がある)
越美北線は昨年訪れましたので、今年は名松線にも是非乗りたいところです。
平成も終わろうかというこの時代に、こうして人を介して列車が動くアナログ感。
いい画になりますね。

スタフが交換され、こちら側の列車の行く先が開通したので、いざ出発です。

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一閉塞区間へと入り、いよいよ末端部も深まって来た新十津川行き。
再び小さな駅舎や待合室が可愛らしい駅に停まりつつ、浦臼までやって来ました。
浦臼は、先ほど交換した列車がここまで来ていたように、札沼線非電化区間の多くの列車は、ここまでやって来ます。
現在でこそ一閉塞区間内の棒線駅になっていますが、かつては札沼北線の始発駅であったほか、新十津川~石狩沼田間が廃止になる前は、札沼線の南北で系統を分ける拠点駅としても機能した駅でした。
先ほども書いたように、石狩当別からここまでは、廃線後も代替バスが設定されるようです。

そして。

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かつて交換可能駅で会ったことをうかがわせるカーブの先に伸びる線路。
いよいよ、「究極のローカル線」へと突入です。
時刻は午前9時6分。
新十津川行きの終電が、浦臼駅を出発しました。

続きます。