テツの箱をつくる人の徒然

「電車小像の鉄道日記」を放ったらかして1年。ブログ、再開しました。

終着駅・新十津川へ

早朝から札沼線を北上してきて、いよいよ浦臼以北、一日一往復の区間までやってきました。

イメージ 1
浦臼を越えた頃にはすっかり陽も高く、差し込む光も昼の明るさになってきました。
青いモケットのボックスシートが、旅情を誘います。

イメージ 2
浦臼を出て25分ほど。
あっさりと、終点の新十津川に到着してしまいました。

イメージ 3
途中駅であった名残か、石狩沼田方面へ少しだけ伸びている線路。
車止めは雪に埋もれているのか視認できず、さながら、未だに鉄路が続いているような感覚に陥ります。
ここから先、留萌本線の石狩沼田までの鉄路が失われたのは半世紀近く前のことで、航空写真を見てもほとんどが農地と化しており、その名残はあまり多くは感じられませんでした。
なお、既廃線区間の最大の遺構は新十津川駅からほど近い徳富川にかかる橋梁跡で、これは航空写真はもちろん、ストリートビューなどからも確認できました。

隣駅は下徳富駅となっていますが、2006年までは下徳富~新十津川間に中徳富という駅も存在しました。
なお、その中徳富駅は2代目だそうで、初代中徳富駅は、この新十津川駅なのだとか。

イメージ 5
2年越しのリベンジを果たしたこの旅。
「歓迎 ようこそ新十津川へ」という言葉が、本当にようやくたどり着いたという喜びの気持ちを高めます。
駅名標に書かれた、「終着駅」という表記にも興奮しますね。

イメージ 6
駅舎内を見てまわります。
ホームへ出る出入り扉の上には、運賃表と発車時刻表が掲げられています。
時刻表には、たった一本、10時ちょうど発の列車のみが記されています。
乗ってきた列車の折り返し、それがここを出る唯一の列車。
始発で最終便です。

イメージ 7
新十津川駅の降車人数を記したカレンダー。
この日は2月22日で、早くも12人と書き込まれていました。
年末年始や土日などは30人から多いと50人近い利用客がいたようですが、それでもキハ40の定員が100名近いことを考えると、利用客は「かなり少ない」と表現できるでしょう。

こういうのを見るとなないか書きたいなと思いつつ、結局何を書けばいいかわからなくなって筆を置いてしまう私。
ホームページに載ると書かれている通り、ホームページで何年ぶんものコメントを見ることが可能です。
なんでもいいから書けばよかったなぁ。

イメージ 9
あまり時間に余裕がないので、名残惜しいですが、折り返しの発車は待たずに駅を離れます。
写真は撮るだけ撮ったし、到着証明書や記念入場券もゲットできたので、大満足です。
来年の廃線までにもう一度来ることができるかわかりませんが、もし来るならば、今度は新十津川から札幌方面に乗って見ると面白いかなと考えています。

イメージ 10
新十津川からの折り返しに乗らないならば、そのあとどうするのか。
これは極めて有名なコースだと思うのですが、新十津川駅から徒歩数分のところにある、新十津川町役場から滝川駅へとバスで移動するルートをとりました。
新十津川から滝川までは、石狩川を挟んで直線距離で2.4km、道なりに歩いても5kmに満たないという至近距離。
かつては札沼線を延伸して滝川につなげようという声もあったようです。
雪の積もった冬場に歩くのは憚られますが、いい時間にバスがあるならば、利用するほかありません。
地元の方の利用もそこそこ多く、滝川に着く頃には(私含めて)立ち客もそこそこ多かった北海道中央バス。230円でした。


夕張支線、札沼線と、乗りたかった路線を制覇したこの旅。
目的を完全に果たし、あとは大阪へと帰るだけです。
帰路、あと少しだけ続きます。