テツの箱をつくる人の徒然

「電車小像の鉄道日記」を放ったらかして1年。ブログ、再開しました。

もう一つの「末端」へ

地震に遭い動揺した夜が開け、旅は2日目に。

震源に近かった線区では始発から運転を見合わせているところもありましたが、心配していた、我々の旅程への影響はほぼ皆無。
一昨年のリベンジを果たすべく、早朝の札幌駅へ乗り込みます。
 
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一昨年は一本前の列車が車両故障を起こしたために、乗ることが叶わなかった札沼線末端区間
今回は少しでもそういった可能性を排除すべく、始発列車で石狩当別を目指すことにしました。
車両は、側帯がなく無機質な雰囲気が強い、735系です。
 
 
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昇る朝日を車窓に眺めつつ、いよいよ果たせるリベンジに、気持ちが高まります。
 
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石狩当別に着くと、そこにはすでに、札沼線専用のキハがスタンバイ。
石狩月形から唯一の2両運用で石狩当別まで上ってきたキハたちは、ここで分割。
下り始発の浦臼行きと、しばらく後にその後を追う、今回お目当の新十津川行きとなり、それぞれの発車を待ちます。
 
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浦臼行きが発車した後に、新十津川行きのドアが開き、車内へ。
意外なことに待ち客は他に1人もおらず、気ままに車内を撮ることができました。
 
 
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発車までは40分以上時間がありましたので、座席を確保した後は、車外に出て色々と「今」を撮影します。
来年5月以降は、この路線図からもごっそりと、札沼線の駅が消されてしまいます。
 
 
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末端区間の廃止は、札沼線から非電化区間がなくなるということ。
すなわち、石狩当別にキハがいる姿も、あとわずかということです。
思いつく限りのスタイルで、彼らのいる光景を記録に残していきます。
 
 
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貫通扉に帯がなく、側扉は一面萌黄色に塗装された、他の北海道色とは少しちがうキハ40形400番台。
札沼線向けに改造された、たった2両だけの存在です。
予備車がないため、時には700番台などのノーマル仕様車も入ることがあるそうなのですが、今回は先に発車した浦臼行きの車両も含めて、400番台がいてくれてよかったよかった。
 
 
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さて、後続の列車から続々と乗り継いできた人たちでそこそこ埋まった新十津川行きは、定刻で石狩当別を発車。
まずは隣の北海道医療大学へと歩を進め、ここからは、余命のカウントダウンが始まった区間へと突入します。
 
 
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電化区間の終わり。
いよいよ“末端”を強く感じられる景色になってまいりました。
白銀の世界に、ひたすらにまっすぐ続く線路。
どこまでも続いていそうなのに、この先には何にも繋ぐことをしない一つの車止めがあって、それすら来年には役割を終えてしまう。
そんな鉄路に想いを馳せて、少し切なくなったり。
 
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差し込む太陽の光に少し目を細めて、ローカルな、のんびりとした空気に包まれながら、終点を目指します。
 
 
続きます。
 
 

夜は札幌、ザンギ祭り。そして・・・

夕張支線訪問を終え、夕張から再びキハ40で来た道を戻ります。

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夕張支線を戻り、新夕張で貨物列車を退避。
10分ほど停車しました。
ここから新得方面に向かう人もそこそこいて、車内の人も減りました。

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またも、「夕張方面」の看板を。
夕張支線関連のものを記録するのはもちろんですが、キハとの組み合わせで撮るのがまた大事。
窓周りだけでもかっこいい、それがキハです。

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追分駅に戻って来ました。
列車はこのまま千歳まで行きますが、我々はここで下車。
室蘭本線岩見沢方面へ北上します。
写真は駅近くの陸橋から撮影したものですが、追分駅、大きな駅ですね。
単行のキハ40がとても小さく見えます。

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室蘭本線の列車もキハ40でしたが、2両編成のうち片方は、日高線カラーでした。
馬をイメージしたロゴが特徴的です。
座席のモケットも、他の車両が国鉄時代を思わせる青色なのに対し、こちらは紫色のものになっていました。

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19時前に岩見沢に到着。
室蘭本線岩見沢付近は、旧線跡などいろいろ見て楽しいものがあるはずなのですが、すっかり暗くなってしまい、何もわかりませんでした。
強いていうなら、志文を出てすぐの左カーブがあるところで、旧線はここまっすぐ行くんだよなあと頭の中で思い描くことができた程度です。
日高線カラーの車両を見ていると、日高本線にも早く乗りに行かねばという気持ちになりますね。

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この日最後に乗ったのは、一気に近代化して、733系。
この辺りあたりは大抵特急で通過しているので、普通列車に乗るのは新鮮です。
ロングシートに揺られること40分ほど。
この日の目的地、札幌に着きました。

今回はここまで大学の部活の後輩と旅してきたのですが、ここでさらに、同じ部の同期が合流。
鉄道とは関係ない部の3人が、それぞれ別々のプランを立てて、たまたま旅程が近いところから、次々に合流していく不思議な旅。
せっかくだから札幌で飲もうよとなりまして、街へ繰り出したのでした。

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やっぱり飲むならサッポロクラシックじゃないとね!
と、やって来たのはザンギのお店。

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うまいうまいと、ザンギを口に放り続けます。
鶏肉は大正義ですね。

と、美味しいビールにジューシーなザンギで幸せな気分も高まって来たところで。

ギュイギュイと、店のあちらこちらから、聞きなれない音が鳴り出します。
それは、私のポケットからも。

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おいおい。

この日(2019年2月21日)発生した地震は、昨年9月に発生した北海道胆振東部地震の余震とされ、その規模はM5.8、最大震度は厚真町で6弱を観測するものでした。
これは、現在のところ北海道胆振東部地震の最大余震になるそうです。

我々のいたお店は、札幌駅から少し歩いた地下街の中、住所的には札幌市中央区にありました。
その辺りの震度は3で、グラッと一度大きめに揺れたのを感じた後は、特に続かず。
地下にいたこともあってか、それほど騒ぎにもなりませんでした。

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お店も営業を続けてくれ、注文していた羊肉のザンギも出て来ました。
脂身の部分がなかなかに臭くてうっとなりながらも、次第に癖になって来て、ビールが進む味。
ジンギスカンではないけれど、これは面白いものをたべれたなと満足して店を後にしました。

地下街がさほど影響がなかったので、札幌はまあ大したことなかったのかなと思いつつ地上に出ると・・・

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JRも地下鉄も止まり、札幌駅前は帰宅困難者で溢れかえっていました。
バスやタクシーには長蛇の列。通学にこそ列車遅れの影響を受けたものの、帰宅困難という状況を目の当たりにすることはありませんでした。
我々は札幌駅付近で宿をとっていたので、これの影響はありませんでしたが、明日は我が身。いつどこで災害に遭うかわからない国に住んでいるのですから、油断は禁物ですね。

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この日、地下鉄は終日運休が決定。
JRは震源の近かった千歳線快速エアポートが立ち往生。
結局、札幌近郊では一部運転を再開しましたが、千歳線の運転見合わせで抑止を受けた列車たちは、翌朝に至るまでの遅延になったようでした。


この地震では数人怪我をされた方もいたようですが、本震の時のような大規模な土砂災害などは発生せず、被害が膨らまなくて良かったなと思います。
また、ホテルに戻ったら、エレベータが緊急停止していて使えず、10階まで非常階段を上るという苦行こそあったものの、我々には特に影響がなく助かりました。

まさか旅先で、しかも一泊だけの旅行で遭遇するとは思いませんでしたが、こういうこともあり得るんだなと、もっと揺れの大きな地域にいることがあるかもしれないなと、今後の旅にも活かしていこうという出来事でした。

続きます。

夕張支線をゆく。

南千歳からキハに乗り込み、追分での長時間停車を経て、いよいよ夕張支線へと入っていきます。
夕張支線の廃線に伴い営業を終了する各駅を、車内からではありますが、写真に収めていきます。

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夕張支線に入って最初の駅が、沼ノ沢。
かつてはここから炭鉱鉄道が分岐しており、30年ほど前までは貨物営業もあった駅。
簡素な小屋が駅舎であることも珍しくない北海道で、夕張支線はかつての繁栄を表すように、そこそこしっかり駅舎があるように感じました。

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次の南清水沢は、駅舎をあまりうまく撮れず。
かろうじて駅名標を撮れたので良しとします。
夕張市コンパクトシティ化政策において、清水沢地区は都市拠点になる方針とのこと。これに伴い、この南清水沢駅も今後、代替バスデマンドバスの結節点として機能して行く予定とのことです。
廃止になっても、歴史は続くのです。

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清水沢駅はかなり立派な駅舎と、広い構内を持つ駅でした。
ここもやはり炭鉱鉄道との結節点として機能していた駅で、ホームから駅舎までの距離は、かつての側線の多さを物語ります。
さらに、この駅は2004年まで腕木式信号機が使われていたのだとか。
同時に新夕張からこの駅まではタブレット閉塞が用いられていたとのことで、きっとその頃にも多くのファンが駆けつけたのだろうなと、往時をしのんだり。

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続く鹿ノ谷駅は、かつて夕張鉄道と接続していた駅。
夕張鉄道は、函館本線野幌駅から、室蘭本線の栗山駅を経由して、夕張を結んでいた私鉄。
野幌から急行も走らせて、国鉄の準急と競合していたようです。
札幌方面から夕張に至る鉄道ルートが二つもあったというだけで、いかにかつての夕張炭鉱が栄えていたかということがわかります。

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駅の窓には、鹿ノ谷駅への感謝を記した装飾が。
この時は廃線までまだ1ヶ月少々ありましたが、すでにお別れムードはたかまているんだなと実感しました。

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夕張の街を横目に、列車は進みます。
鹿ノ谷の次は、早くも終点の夕張です。

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鉄路の途切れ、終端駅の夕張駅
すぐそばには、リゾートホテルのホテル マウントレースイが構えます。
市役所などのある市街地はもう少し北に入ったところにあり、かつては線路もそこまで続いていたようです。

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三角屋根の可愛らしい駅舎は、1990年に移転してできた三代目。
「ゆうばり」と駅名標を模した、廃線を惜しむのぼりが目立ちます。

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駅スタンプの設置や記念入場券の販売はホテル マウントレースイのフロントに委託されていますが、駅舎内にもこのように、廃線までのカウントダウンパネルなどがありました。
"Re start"という言葉が、廃線をただ寂しいもので終わらせない、涙ぐましい決意の現れに思えて、心に響きます。

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最終日などは3両に増結されての運行だったようですが、この日は通常通りの1両。
乗客はすでに日常のものとは言い難い人数でしたが、それでも画面内にそれほど写り込まない、この程度。
「夕張支線の普段の姿」に近いものを撮れたのではないかなと感じています。
空の雰囲気に、哀愁が漂います。

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駅前の信号機。
夕張駅は鉄道駅としての役割を終えますが、今後も人の集まる場所として、まさにRe startを切って欲しいなと思うばかりです。
交差点の名前も、「ゆうばり駅前」のままだといいな。

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札幌まで戻れる最終列車はもう一本後があるのですが、この日は札幌でさらに友人と合流する予定があったので、乗ってきた列車でとんぼ返り。
(元々は夕張で宿泊したかったところ、うまく都合がつかなかった)
キハ単行と、ローカルさに溢れるホームの雰囲気。
来てよかったなぁ。


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夕張駅を離れていきます。
夕張支線に乗るのはこれが最初で最後。
帰りの便も、ひと駅ひと駅、見える車窓を大切に目に焼き付けて戻りました。

続きます。

TOP 平成三十一年 四月

ようこそ、電車小僧の鉄道日記へ。

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令和。
平成に変わる新元号は、令和と発表されました。
この新元号を、楽しみに待つ人もいれば、違和感を抱く人、いろいろいらっしゃると思います。
平成一桁生まれの私。
元号は想像以上にしっくりきましたが、平成の終わりには一抹の寂しさを感じます。
令和の時代が、平成以上に良い時代になることを祈りつつ、平成最後のひと月を過ごします。
写真は、昨日、3/31をもって営業を終了した、石勝線夕張支線の夕張駅にて。
営業終了がホットな話題にあるうちに、記事を書ききってしまいたいところです。
平成がラストスパートに入っても、変わらず遅筆な電車小僧の鉄道日記、今月もよろしくお願いします。

今年も行くよ!北海道!!

毎年恒例になりつつある、春休み初めの北海道旅行。
一昨年は宗谷本線を北へ、去年は流氷を眺めつつ、最東端の根室まで足を伸ばしました。
では、今年の目的地は。
これはもう、去年から決めていました。
今年3月末を持って廃線になる石勝線夕張支線、そして、来年5月初めの廃線が決まった、札沼線の末端区間
特に、札沼線は以前アタックしようとして、列車遅れの影響を受けて断念した過去がありますので、今回はリベンジになります。

さあ、北へ向かいましょう!

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今回は、神戸空港からAIR DOで。
ANAのマイルが貯まっていたので、往復の飛行機代が浮きました。助かるぅ。

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新千歳空港に着いたら、駅が綺麗になっていました。
ここで、今回の旅の切符を購入します。
今回は普通の乗車券を購入しましたが、AIR DOpeachを利用して上陸すると、JRとの、かなりお得なコラボフリー切符を購入できたりします。
(※今回の私のように、ANAの便としてAIR DO機に登場した場合は購入対象外)

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南千歳から乗るのは、もちろんこちら。
夕張支線直通のキハ40。始発は一つ手前の千歳ですが、ここから同行する大学の後輩が席を取ってくれていたので、安心して乗車できました。
南千歳発車時はやや混雑気味でしたが、次の追分で7~8割くらいの乗車率に落ち着きました。

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南千歳からひと駅、追分駅で早速、28分の長時間停車がありました。

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時間があるので、夕張まで向かうであろうみなさんも、各々のんびり撮影会。
まずはサボとか車番とか。

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長時間停車の理由は、ここで上下2本の特急の通過待ちをするため。
追分駅の広い構内を、キハ283系が高速で通過していきます。
先に札幌行きが通過。

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しばらくして、釧路行きが通過。
今回は基本的に特急には乗らない旅程ですが、やっぱり北海道の特急はかっこいい。
キハの旅はもう最高なんですが、特急にも乗りたいところですね。

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夕張支線はこれを書いている今日(3/31)で営業終了となりますが、それに先立って、16日から千歳発の列車は新夕張行きに変わってしまいました。
新夕張行きでも「夕張方面」のままで通じそうですが、果たして、この乗車口案内はそのまま残されたりするのでしょうか。


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車内にあった、千歳線の路線図。
千歳、南千歳から分岐して書かれているのは、「追分・夕張方面」の文字。
こちらも、4月1日以降は「追分・新夕張方面」となるのが正しいわけですが、実際のところはどうなるのでしょうか。
何れにしても、しっかり記録しておくべきポイントです。

さて、追分を出発すれば、信号場などでぼちぼち停まりつつ、新夕張へ。
新夕張からは、いよいよ本命の夕張支線です。
各駅の写真を、車内からですが収めてきましたので、次回どんどん載せていこうと思います。

最終日の撮影に行かれている皆様、北海道はまだ寒いと思いますが、頑張ってきてください。

続きます。

祝・開業!おおさか東線延伸!

3月16日、JR各社のダイヤ改正が行われました。

主なトピックとしては、中央東線の定期特急列車がE353系に統一された他、上越新幹線E7系の投入、また、四国では牟岐線にパターンダイヤが採用されるなどといった内容の改正になりました。

さて、JR西日本でもこの改正では多くの話題が挙がりましたが、近畿地区では特に、おおさか東線の全線開業、嵯峨野線に新駅誕生、新快速へのAシート導入、特急「らくラクはりま」の新設、和歌山線ほかに227系1000番代投入などが騒がれたかなと思います。
そんな中で今回は、私の実家からも近く、これからの生活に少しは変化がありそうな、おおさか東線の開業を取り上げようと思います。


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この日の朝は金沢にいたので、開業式典などは見られませんでしたが、なんとか開業初日に乗りたい!と、サンダーバードで新大阪へ。
これまで黒いシートで目隠しされていた1・2番線の案内板には、おおさか東線の路線図が光ります。

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新大阪駅に停車する201系。
試運転の姿はちょこちょこ見かけましたが、今日からは営業運転です。
営業運転で新大阪に来る201系は、ユニバーサルシティ行きの臨時快速以来でしょうか?
ここに来て運用の範囲が広がる「国鉄型」201系、すごい・・・

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列車は新大阪を出ると、梅田貨物線を走り東淀川駅の横を抜け、神崎川を渡ってすぐに分岐。
おおさか東線に入り、少し急な勾配で高架に上がると、進路を大きく南へ変えながら東海道線を超えて、南吹田駅に入ります。

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吹田市に所在する南吹田駅ですが、大阪市区間扱いで、駅名標にも[阪]の記号が入ります。

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東海道線から城東貨物線に接続する大きいカーブの途中に設置された南吹田駅では、入線して来る列車を素敵な構図で駅撮り可能です。

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南吹田を出ると、そのままカーブしながら再び神崎川を渡り、再度大阪市へ。
川を渡ったところで城東貨物線の線路に合流し、しばらくするとJR淡路に到着です。

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JR淡路では阪急京都線・千里線と交差。
阪急の淡路駅とは少々離れていますが、阪急の高架化と、駅前再開発が終われば、乗り換えの便もよくなるのでしょうか。

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JR淡路を出ると次は、淀川を渡ります。
いわゆる赤川鉄橋、かつては歩行者も渡れることで有名だった橋ですね。
下り列車では、かつて歩行者用の仮橋がかかっていた部分に敷設された新しい線路を走ります。

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橋を渡ってすぐに、城北公園通駅
我が都島区に設置された駅で、計画時点では(仮称)都島駅でした。
城北公園は淀川沿いにもう少し北東へ行ったところにある公園ですが、「じょうほく」ではなく、「しろきた」と読むところがポイント。
難読ではありませんが、地元民じゃないと間違う読み方ですね。
月刊誌・鉄道ファンでさえも、誤植しているのを見つけました。
なお、駅はギリギリ都島区おおさか東線がほぼ区境)ですが、城北公園は旭区に所在します。

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新設駅の最後はJR野江。
都島区を抜け城東区にある駅ですが、都島区にある桜ノ宮や京橋には、おそらくこちらの方が近い駅になります。
私の実家もこっちの方が近そう。
こちらでは京阪電車と交差するので、淡路と同様にJRを冠する駅名になっています。
おおさか東線は先行開業区間でもJRを冠する駅が3つあり、近年開業した新線らしさが如実に表れている路線だと感じさせます。

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最後に鴫野まで乗って、新駅巡り終了。
実際に新規に開業したのは放出までなので、そのぶんも乗らないとおおさか東線完全制覇とは言えないのですが、この日は時間の都合でこれで終了。
またそのうち、新大阪から久宝寺まで乗り通したりもしたいなと思います。

新線開業という一大トピックをひとまず見に来ることができたので、満足です。
また追々、梅小路京都西駅訪問や、Aシート乗車、らくラクはりま撮影など、どんどん潰していかないと!です。
以上です。

今更ですが・・・元日の終夜運転を

本当に今更すぎますが、今年の鉄活は終夜運転の撮影から始まりました。
平成最後の終夜運転
環状線桜ノ宮駅でバッチリ撮ってきました。

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桜ノ宮の最終は午前0時半過ぎまでと、普段から遅くまで動いている環状線
終夜運転でも15分おきと、なかなか高頻度運転。
深夜1時に駅で撮影している不思議な感覚。楽しいですね。

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僕も初詣に行った帰りだったのですが、他の皆さんも初詣なのか、はたまた夜通し遊びに出ているのか。
結構な利用客があるんだなと感じました。
車両だけを撮っても終夜運転だとわからないので、時間のわかる電光掲示板を画面に入れて。

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さむさむと言いながら、いろいろな構図を試します。
こんな時間に何やってるんだあの男、という目線を車内から受けながら、新年早々強い心が試されます。やだなぁ。

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そろそろ帰ろうか、と思ったら、次の列車の足元表示が○印だと案内が出ました。
すなわち、201系が来るということ。
来年の終夜運転に201系がいるとも限りませんので、これは待たねばいけませんね。

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待つこと15分。
遠くても323系とは違うとわかる、おでこのライト。
カメラを持つ手にも力が入ります。

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やってきたのは、ハリーポッターラッピングのLB15編成でした。
オレンジの編成が来て欲しかったところではありますが、これはこれで記録として大事。
来年の終夜運転に201系が登板する、というか、その時点でまだ環状線に201系がいるかもわかりませんが、とりあえず一編成だけでも終夜運転を務める201系の姿を記録できてよかったです。

だらだらと書いているうちに、春のダイヤ改正も行われてしまいましたが、ようやく今年の出来事について書き始めることができました。
もっとペースを上げて書けたら良いのですが・・・
就活がどんどん進んでてんてこ舞いですが、暇を見つけて書いていこうと思います。
頑張ります。

以上です。