テツの箱をつくる人の徒然

「電車小像の鉄道日記」を放ったらかして1年。ブログ、再開しました。

夕張支線をゆく。

南千歳からキハに乗り込み、追分での長時間停車を経て、いよいよ夕張支線へと入っていきます。
夕張支線の廃線に伴い営業を終了する各駅を、車内からではありますが、写真に収めていきます。

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夕張支線に入って最初の駅が、沼ノ沢。
かつてはここから炭鉱鉄道が分岐しており、30年ほど前までは貨物営業もあった駅。
簡素な小屋が駅舎であることも珍しくない北海道で、夕張支線はかつての繁栄を表すように、そこそこしっかり駅舎があるように感じました。

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次の南清水沢は、駅舎をあまりうまく撮れず。
かろうじて駅名標を撮れたので良しとします。
夕張市コンパクトシティ化政策において、清水沢地区は都市拠点になる方針とのこと。これに伴い、この南清水沢駅も今後、代替バスデマンドバスの結節点として機能して行く予定とのことです。
廃止になっても、歴史は続くのです。

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清水沢駅はかなり立派な駅舎と、広い構内を持つ駅でした。
ここもやはり炭鉱鉄道との結節点として機能していた駅で、ホームから駅舎までの距離は、かつての側線の多さを物語ります。
さらに、この駅は2004年まで腕木式信号機が使われていたのだとか。
同時に新夕張からこの駅まではタブレット閉塞が用いられていたとのことで、きっとその頃にも多くのファンが駆けつけたのだろうなと、往時をしのんだり。

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続く鹿ノ谷駅は、かつて夕張鉄道と接続していた駅。
夕張鉄道は、函館本線野幌駅から、室蘭本線の栗山駅を経由して、夕張を結んでいた私鉄。
野幌から急行も走らせて、国鉄の準急と競合していたようです。
札幌方面から夕張に至る鉄道ルートが二つもあったというだけで、いかにかつての夕張炭鉱が栄えていたかということがわかります。

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駅の窓には、鹿ノ谷駅への感謝を記した装飾が。
この時は廃線までまだ1ヶ月少々ありましたが、すでにお別れムードはたかまているんだなと実感しました。

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夕張の街を横目に、列車は進みます。
鹿ノ谷の次は、早くも終点の夕張です。

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鉄路の途切れ、終端駅の夕張駅
すぐそばには、リゾートホテルのホテル マウントレースイが構えます。
市役所などのある市街地はもう少し北に入ったところにあり、かつては線路もそこまで続いていたようです。

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三角屋根の可愛らしい駅舎は、1990年に移転してできた三代目。
「ゆうばり」と駅名標を模した、廃線を惜しむのぼりが目立ちます。

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駅スタンプの設置や記念入場券の販売はホテル マウントレースイのフロントに委託されていますが、駅舎内にもこのように、廃線までのカウントダウンパネルなどがありました。
"Re start"という言葉が、廃線をただ寂しいもので終わらせない、涙ぐましい決意の現れに思えて、心に響きます。

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最終日などは3両に増結されての運行だったようですが、この日は通常通りの1両。
乗客はすでに日常のものとは言い難い人数でしたが、それでも画面内にそれほど写り込まない、この程度。
「夕張支線の普段の姿」に近いものを撮れたのではないかなと感じています。
空の雰囲気に、哀愁が漂います。

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駅前の信号機。
夕張駅は鉄道駅としての役割を終えますが、今後も人の集まる場所として、まさにRe startを切って欲しいなと思うばかりです。
交差点の名前も、「ゆうばり駅前」のままだといいな。

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札幌まで戻れる最終列車はもう一本後があるのですが、この日は札幌でさらに友人と合流する予定があったので、乗ってきた列車でとんぼ返り。
(元々は夕張で宿泊したかったところ、うまく都合がつかなかった)
キハ単行と、ローカルさに溢れるホームの雰囲気。
来てよかったなぁ。


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夕張駅を離れていきます。
夕張支線に乗るのはこれが最初で最後。
帰りの便も、ひと駅ひと駅、見える車窓を大切に目に焼き付けて戻りました。

続きます。