テツの箱をつくる人の徒然

「電車小像の鉄道日記」を放ったらかして1年。ブログ、再開しました。

夜は札幌、ザンギ祭り。そして・・・

夕張支線訪問を終え、夕張から再びキハ40で来た道を戻ります。

イメージ 1
夕張支線を戻り、新夕張で貨物列車を退避。
10分ほど停車しました。
ここから新得方面に向かう人もそこそこいて、車内の人も減りました。

イメージ 2
またも、「夕張方面」の看板を。
夕張支線関連のものを記録するのはもちろんですが、キハとの組み合わせで撮るのがまた大事。
窓周りだけでもかっこいい、それがキハです。

イメージ 3
追分駅に戻って来ました。
列車はこのまま千歳まで行きますが、我々はここで下車。
室蘭本線岩見沢方面へ北上します。
写真は駅近くの陸橋から撮影したものですが、追分駅、大きな駅ですね。
単行のキハ40がとても小さく見えます。

イメージ 4
室蘭本線の列車もキハ40でしたが、2両編成のうち片方は、日高線カラーでした。
馬をイメージしたロゴが特徴的です。
座席のモケットも、他の車両が国鉄時代を思わせる青色なのに対し、こちらは紫色のものになっていました。

イメージ 5
19時前に岩見沢に到着。
室蘭本線岩見沢付近は、旧線跡などいろいろ見て楽しいものがあるはずなのですが、すっかり暗くなってしまい、何もわかりませんでした。
強いていうなら、志文を出てすぐの左カーブがあるところで、旧線はここまっすぐ行くんだよなあと頭の中で思い描くことができた程度です。
日高線カラーの車両を見ていると、日高本線にも早く乗りに行かねばという気持ちになりますね。

イメージ 6
この日最後に乗ったのは、一気に近代化して、733系。
この辺りあたりは大抵特急で通過しているので、普通列車に乗るのは新鮮です。
ロングシートに揺られること40分ほど。
この日の目的地、札幌に着きました。

今回はここまで大学の部活の後輩と旅してきたのですが、ここでさらに、同じ部の同期が合流。
鉄道とは関係ない部の3人が、それぞれ別々のプランを立てて、たまたま旅程が近いところから、次々に合流していく不思議な旅。
せっかくだから札幌で飲もうよとなりまして、街へ繰り出したのでした。

イメージ 7
やっぱり飲むならサッポロクラシックじゃないとね!
と、やって来たのはザンギのお店。

イメージ 8
うまいうまいと、ザンギを口に放り続けます。
鶏肉は大正義ですね。

と、美味しいビールにジューシーなザンギで幸せな気分も高まって来たところで。

ギュイギュイと、店のあちらこちらから、聞きなれない音が鳴り出します。
それは、私のポケットからも。

イメージ 9
おいおい。

この日(2019年2月21日)発生した地震は、昨年9月に発生した北海道胆振東部地震の余震とされ、その規模はM5.8、最大震度は厚真町で6弱を観測するものでした。
これは、現在のところ北海道胆振東部地震の最大余震になるそうです。

我々のいたお店は、札幌駅から少し歩いた地下街の中、住所的には札幌市中央区にありました。
その辺りの震度は3で、グラッと一度大きめに揺れたのを感じた後は、特に続かず。
地下にいたこともあってか、それほど騒ぎにもなりませんでした。

イメージ 10
お店も営業を続けてくれ、注文していた羊肉のザンギも出て来ました。
脂身の部分がなかなかに臭くてうっとなりながらも、次第に癖になって来て、ビールが進む味。
ジンギスカンではないけれど、これは面白いものをたべれたなと満足して店を後にしました。

地下街がさほど影響がなかったので、札幌はまあ大したことなかったのかなと思いつつ地上に出ると・・・

イメージ 11
JRも地下鉄も止まり、札幌駅前は帰宅困難者で溢れかえっていました。
バスやタクシーには長蛇の列。通学にこそ列車遅れの影響を受けたものの、帰宅困難という状況を目の当たりにすることはありませんでした。
我々は札幌駅付近で宿をとっていたので、これの影響はありませんでしたが、明日は我が身。いつどこで災害に遭うかわからない国に住んでいるのですから、油断は禁物ですね。

イメージ 12
この日、地下鉄は終日運休が決定。
JRは震源の近かった千歳線快速エアポートが立ち往生。
結局、札幌近郊では一部運転を再開しましたが、千歳線の運転見合わせで抑止を受けた列車たちは、翌朝に至るまでの遅延になったようでした。


この地震では数人怪我をされた方もいたようですが、本震の時のような大規模な土砂災害などは発生せず、被害が膨らまなくて良かったなと思います。
また、ホテルに戻ったら、エレベータが緊急停止していて使えず、10階まで非常階段を上るという苦行こそあったものの、我々には特に影響がなく助かりました。

まさか旅先で、しかも一泊だけの旅行で遭遇するとは思いませんでしたが、こういうこともあり得るんだなと、もっと揺れの大きな地域にいることがあるかもしれないなと、今後の旅にも活かしていこうという出来事でした。

続きます。