冬支度。-ラッセル車とトロリーバスと- ②
城端線でのラッセル試運転の撮影を終え、なんだか既に満足感に包まれつつありますが、ここまではまだおまけ。ここからが本番なのです。
午前8時。
さて、11月30日をもって今年の営業を終えた、関電トンネルトロリーバス。
来年春の再開からは電気バスでの運行となりますので、法律上の鉄道としては廃止となりました。
見た目は似ていても、鉄道ではなくなってしまうということで、扇沢「駅」という表記、これがどうなるのかが気になるところです。
午前8時30分。この日の黒部ダム行き始発「電車」が発車します。
顔つきなどは独特ですが、やはり車体の雰囲気はバスそのものですね。
運よく前から2列目に陣取ることができたので、1列目の方の頭越しに前面展望を楽しみます。
延々続くトンネルは一見単調な車窓にも感じられますが、その途中にはこのように、他と違う青色のライトで照らされた場所が。
ここは関電トンネル掘削当時、大量出水により工事を阻んだことで有名な破砕帯。
延長80mの破砕帯を、冷たい水を感じさせるライトアップで教えてくれています。
断層周辺は大きな力がかかったことにより岩盤が砕かれており、周囲に比べて隙間の多い地質構造になっています。この隙間に地下水を多く含むことから、トンネル工事でそこに穴を開けた途端、出水してしまうというメカニズムなんですね。
「ハサイダー」という、この水を使ったサイダーも売っていましたよ。名前がいいですね。
北陸道の立山ICなどはこの町の北端に位置していて、直線距離で約33km離れています。平地であればマラソンでいける距離の場所に、車で延々、その4倍以上の距離を走って辿り着いているわけですから、いかに北アルプスが壁として立ちはだかっているのかを実感できます。
まあ、お金さえ払えば、アルペンルートで山越えできるというのもすごい話のはずなのですけれども。
そして黒部ダム駅。ここまでの所要は16分です。
この時は2台並んだ続行運転でしたが、ホームは結構な長さが確保されています。
いろいろ調べてみると、繁忙期には最大8台での運行があったのだとか。
この300型は15台いたそうなので、その時はまさにフル稼働だったわけですね。
背中に回ると、やはり普通のバスとは違うのだなとよくわかります。
今やトロリーバスでしか見られない、トロリーポール式の集電装置も貴重な存在でした。
トロリーバスの特徴である2本ポールや、離線時のポール下降用装置であるレトリーバーなど、「らしさ」の詰まった部分ですね。
電気バスへの置き換えを発表してから、「トロバスラストイヤー」として様々なイベントを行ってきた関電トンネルトロリーバス。
車体の装飾も華やかで、路線そのものは今後もありますが、鉄道路線として、一つの歴史が終わるのだなと思わされます。
トロリーバスとしての終わりは少し残念ですが、「変わるんにゃ。」という言葉は、なんだか前向きでいいなぁと思ったり。
そう、この路線の歴史はこれからも紡がれていくわけですもんね。電気バスになったらまた来ようと決意しました。
日本のトロリーバスの歴史は、1928(昭和3)年から運行されていた、日本無軌道電車がその始まり。
今となってはかなりマイナーな存在ですが、意外と存在が途切れた時期がないんですよね。(日本無軌道電車の運行休止から、京都市営のトロリーバスが運行を開始するまで3ヶ月の空白はありますが、書類上は1932年4月1日のみ被っている。)
こちらは1996年に営業が開始されたばかりの比較的新路線ですが、それでも車齢は22年を数え、更新が検討されてもおかしくはなさそうです。
関電トロバスより路線延長も短い立山トロバス、果たしていつまで走るでしょうか。
さてさて、そんなことを考えながら長い階段を登れば、いよいよ黒部ダムとご対面。
次回は黒部ダム訪問の話を綴ろうと思います。
続きます。