テツの箱をつくる人の徒然

「電車小像の鉄道日記」を放ったらかして1年。ブログ、再開しました。

夜汽車で往こう!ムーンライトトリップ。 ②

ムーンライトながらに揺られ、早朝の東京へとやって来ました。

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電車乗りまくりの一日。
まず手始めに、京浜工業地帯に細かく根を張る鶴見線を全線乗り潰します。
扇町までの本線から、海芝浦へと向かう海芝浦支線、大川へと向かう大川支線がそれぞれ伸びていて、特に大川支線は朝4往復、夜5往復と非常に本数の少ない路線。乗りつぶすためには通勤客に混じってあっちこっち行ったり来たりが必要となる、路線距離の割に厄介な路線です。

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まずは一番奥の扇町まで行ってしまいます。
さすがにこの時間なので混雑とまではいきませんが、それでもかなりの乗車率。工業地帯の朝は早いんだなあと実感しました。
駅の雰囲気を撮影したら、乗って来た列車の折り返しで引き返します。

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浅野まで戻って来て、乗り換えです。
ここでは海芝浦支線が分岐しており、ホームも別になっています。海芝浦支線側のホームはこの通りかなりの急カーブ上に設けられていて、ホームと車両の隙間には、早朝の寝ぼけ眼には少々ひやっとする幅ができています。

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海芝浦支線の終点、海芝浦駅は京浜運河に面した「最も海に近い駅」。
海に面した駅というのは各地に結構ありますが、砂浜も挟まず、ホーム直下まで水辺が来ているというのはここくらいではないでしょうか。
一つ手前の新芝浦駅から東芝エネルギーシステムズという東芝の子会社の敷地内になっており、海芝浦駅では関係者以外駅から出られないというのも有名ですね。

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再び来た道を戻り、鶴見の一つ手前、国道駅まで引き返して来ました。
大川行きの列車までがしばらくあくので、その時間に「昭和の香りを残す駅」として名高いこの駅を見学しようという魂胆です。
屋根の鉄骨アーチが早くもいい味出してますね。

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高架下が駅舎、そして物件の並び。
国道駅は鶴見臨港鉄道が弁天橋から鶴見まで延伸した1930年に開業しており、このガード下含め開業当時からほぼ改築が入っていないという、90年近く前の雰囲気をそのまま伝える駅になっています。
薄暗く廃墟然とした様子にも見えますが、今でも営業しているお店があったり、住まれている方もいるようで、まだまだ現役の"生きた駅"。
近所の方の生活道路としての役割も果たしているらしく、人の通りも案外多いです。

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「国道」の名の通り、駅は京浜国道(国道15号線、かつての1号線)に面しているのですが、逆側に抜けると鶴見川にぶつかります。
釣りをするおじさんに、お散歩の奥様方。下町ののんびりした朝の光景を横目に、川を渡る鶴見線列車をパチリ。うーん、思ったより柵が高かったな。

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駅に戻り、3つ目の終点である大川駅へと向かいます。
さすがに7時にもなるとかなりの人が列車に乗っていて、大川駅でもご覧の通り。
ホームが狭いために人がはけるのにも時間がかかり、人が写らないように撮るのは困難でした。すぐに折り返して、鶴見線完乗です。

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大川支線の分岐駅である安善でしばし列車待ち。
大川支線は正式には隣の武蔵白石が分岐駅なのですが、22年前に大川支線方面行きのホームが撤去され、実質的な分岐駅がこちらに移されたという経緯があるそうで。
そんな両駅の間には広く留置線が取られており、タキが停められています。
このタキは米軍のジェット燃料輸送専用車で、この付近にある貯蔵施設から青梅線の拝島までを結ぶ、いわゆる「米タン」列車に使用されています。
あまりタキには縁がないので、こうして連なっている姿を見るとワクワクします。走っているところも一度撮ってみたいですね。

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さて、再び扇町方面行きの列車に乗車して、浜川崎へ。ここで鶴見線と離れて南武支線に乗り換えます。
両線のホームは道路一本挟んで離れており、一度改札外に出る必要があります。大回りなどで本来改札外に出られない場合でも、ここは特例的に出場が認められていますね。
左手に見える高架は貨物線で、京急の小島新田付近や羽田空港近くを抜け、東京貨物ターミナル方面へと続いています。この辺りは私有の線路含めて数多くの貨物専用線が伸びており、普段旅客線にばかり目を向けていると繋がらないような場所が結ばれていたりして面白いです。

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5時台の鶴見駅から暫くの間乗り続けてきた205系もこの列車がこの日最後。
小田栄駅の開業に合わせて五線譜風の帯に、座席モケットなども音符入りになった可愛らしい車両でした。

早朝から慌ただしく行ったり来たりしたこの日ですが、時刻はまだ7時半。
睡眠不足がだんだんと眠気を強めてきますが、旅はまだまだ続きます。