テツの箱をつくる人の徒然

「電車小像の鉄道日記」を放ったらかして1年。ブログ、再開しました。

新年一発目!消えゆく路線を訪ねて。 ④

出雲大社と旧国鉄大社駅を見学して、このあたりから離れます。

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大社駅から一畑電車出雲大社駅に戻る途中に一枚。
背後には八雲山や弥山など、想像していたよりも高い山がそびえます。
橋を渡る列車は元東急のステンレス車ですが、ラッピングで車両全体に色がついているおかげで、やはり景色の中で車両が映えますね。

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大社駅から再び一畑電車に乗って川跡駅、そして松江しんじ湖温泉方面を目指します。
途中秋鹿町駅では、この数日後に引退してしまった2102編成に遭遇。
クリーム色に青帯というこのカラーは、一畑電鉄時代(現在は分社化して一畑電車)の車両がまとっていたもの。地の色が京王5000系時代に似ているせいか、個人的には非常に似合っていて好きな塗色でした。
車内から窓越しにしか撮れませんでしたが、せめても記録をすることはできてよかったです。

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終点の松江しんじ湖温泉では、乗ってきた5000系と、最新型7000系が並びました。
5000系は観光輸送に重きを置いて導入された車両のため、先ほどの2100系と同じく種車は京王の5000系ではありますが、醸し出す雰囲気は全くの別物。
車内はかつての小田急ロマンスカー、NSEこと3100形から流用したクロスシートが+2列配置で並ぶ特別仕様。
さらに、今回乗車した5009編成は数年前に島根県産の木材利用促進を目的とした事業に選ばれ、車内が杉のパーティションで仕切られたボックスシート化。特別感がマシマシになっています。
隣の7000系も、まさかの(登場から26年経っている)JR四国7000系をベースにして製造された、なかなか興味深い車両。
艤装などをJR西日本系列の後藤工業が担当しているので、それこそJR西日本で運用されている125系なども設計思想は近いんじゃないのかなと思ったりもするんですが、登場から四半世紀経ってベースにされるくらいには、7000系が地方交通の実情に合っていたのかなと感心しています。

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松江では、現存12天守の一つとなる松江城を訪問。
旅の中でちょいちょい訪れるお城。中でも現存天守を見るのはいつも楽しみなのですが、今回は宇和島城に続いて2年ぶり、久々でより楽しみにしてきました。
現存天守に寄る時は中の見学もできればしたいところなのですが、時間の都合で今回は非常に残念ながら外だけ見て終了。
しかし、ご覧の通りの立派な天守で、外から見るだけでも十分な迫力のあるお城。
中国・四国地方は、12天守中半数が集中していますがその中でも5重6階建というのはやはり立派に感じます。この地方では愛媛の松山城に続くお城だと思いました。

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松江城からは宍道湖を眺めたりしつつ、JRの松江駅へ。
宍道湖は縦幅が6km程度なのに対して、横が17kmもある、横に長めの湖。
入り江になっている海なのかと思うくらい、奥行きを感じます。
ちなみに面積的には日本で7番目となり、鳥取との県境に位置する中海(こちらも大きくて、日本で5番目の面積)とは川でつながっています。
宍道湖は中海と一緒に、海水の入り混じる汽水湖シジミ漁が有名ですね。
湖の淡水化事業や水質悪化などで一時期急激にシジミ漁獲高が減少したこともあるようですが、現在では再び日本一に返り咲いているようです。

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駅でお土産などを適当に見繕ったら、ここから再びJRの旅。
普通に乗車券を買ったので、本当は特急などを使うのが魅力的なのですが、ヨーロッパ旅行あたりから続く金欠のあおりを受けて、しばらくは普通列車で進みます。
せっかくのキハ47ですが、この列車が思ったより混雑していまして、かろうじて確保したロングシート部に座ることになりました。

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途中で特急に抜かされたり、米子でキハを乗り継いだりしつつ、少しずつ東へ。

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最後に倉吉からスーパーはくとに乗車して、今回の旅を締めくくりました。
乗り継ぎの時間が少なく慌てたため、写真がブレてしまっている・・・orz
HOT7000形自体は昔乗ったことがあるのですが、智頭急行線は初乗車。
線内に入ってビュンビュン飛ばしている頃には日が暮れてしまっていたので、乗り通した!という感じはあまりしなかったのですが、日本全国乗りつぶしは少しずつ進んできています。

この日は大阪でそのままサンダーバードに乗り換えて、一気に金沢まで戻りました。
新年早々、がっつり内容の濃い旅ができて楽しかったです。
これを書いている今、学校はすでに春休み。もちろんあちらこちらへ出かける気は満々なので、またそれも記事にしていきたいなと思います。

以上です。