テツの箱をつくる人の徒然

「電車小像の鉄道日記」を放ったらかして1年。ブログ、再開しました。

甲信をゆけ!189系を狩る旅。 ③

残念ながら富士山を拝むことは叶わないままだったものの、のんびり花なんかを眺めながら河口湖畔をぶらついて、河口湖駅へ戻って来ました。

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駅前には、富士急行の前身となる富士山麓鉄道のモ1形が鎮座。
登場から20年少々経った頃車体更新が行われ、この車体は上田丸子電鉄へ。そこでの運用が終了したのちに、富士急行の創業60周年記念で里帰り、復元されて現在に至るそうです。

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さて、ここから乗車するのは、なんだか塗色が駅前のモ1形に似ている気がしないでもない、元JR東海371系の「富士山ビュー特急」。
小田急20000形に続いて転入が報じられた時は当たり前のようにフジサン特急になるものだと思っていたのですが、結果はこうなりました。
フジサン特急とは違い、富士登山電車や富士山駅の改装などで富士急でもおなじみの水戸岡デザインです。

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イメージパースを見たときは「また水戸岡さんか」と思ったのですが、やっぱり日本各地で採用する会社が多いことからもわかるように、素敵なデザインなんですよね。
最近の車両改造で手がけられたデザインはどれも似たり寄ったりに感じてしまうので、個人的には初期のJR九州の車両たちが好みなんですけれど。

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運転室のすぐ後ろはこんな感じ。
371系時代は乗務員室への扉部分にも縦桟のない、ワイドビューに前面展望を楽しめる設計だったはずなのですが、富士山ビュー特急に改造後はこんな感じに、木の格子で枠取りがされています。
これはこれで嫌いではないのですが、ちょっと前が見にくい・・・

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都留文科大学前まで乗車して、富士山ビュー特急とはお別れ。
2つ上の車内の写真も見ながら眺めてもらうとわかりやすいですが、側窓も371系時代から結構変化しています。
窓そのものには手を加えられていないのですが、車内側から、窓枠が追加されているんですね。2列で1枚の大きな窓が特徴だったのですが、現在は正方形に近い、座席1列につき1つずつの窓枠になっています。
結構昔ですが、水戸岡さんの窓に対する意識として「大きい窓は無意識に首を振っていて疲れるものだから、小さめにして一人に一つずつ、額縁をつけることで車窓をより美しく見せる」というものがあると読んだことがあります。鉄道ファンだったかな。このデザインも、そのコンセプトが根底にあるのかなと。

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都留文科大学前では数分の待ち時間で、すぐに反対方向の普通列車が到着。
車両は「トーマスランド号」となっている、富士急最後の自社発注車の5000系。
車体形状や各パーツに113系などの国鉄近郊型を彷彿とさせながらも、独特の顔つきを持つこの車両。一部部品を国鉄車両と同じものにしてコストダウンを図りつつも、ボックス席の並ぶ車内は国鉄急行型よりも広いシートピッチで快適性を上げ、登場当初より冷房装置を装備するなど、地方私鉄としては意欲的だったのだとか。
登場翌年には鉄道友の会ローレル賞を受賞するなどしていますが、結果的に増備されることはなく、2両編成1本のみの貴重な存在に。
トーマスランド号として運用に就いているため、富士急のホームページでもダイヤが掲載されており、出会う難易度は低めです。

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ドア上にはLCDの案内表示器なんかもあって、こっそり近代的。
富士急では最新の通勤型、元205系6000系にもない装備では??

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三期の決まったヤマノススメでも登場した三つ峠駅富士登山電車と行き違い、さらに進んで下吉田で6000系と交換。
手前、富士山駅寄りの先頭車は中間車からの改造ですが、取り付けられた顔は原型と同じタイプのもの。編成の両端で顔が違うというのも見て見たかった気がしますが、やはり量産先行車の田の字窓にはこの顔ですかね。見ていると落ち着くお顔です。

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さて、この下吉田駅で一旦下車します。
駅舎へ続く構内踏切には、なんだか面白い踏切信号が。警報音も電鐘式で、風情のある音色でした。
なぜこの駅で降りたかと言いますと・・・すでに見えてますね。ここには気になる車両たちがいるのです。

続きます。