テツの箱をつくる人の徒然

「電車小像の鉄道日記」を放ったらかして1年。ブログ、再開しました。

2日目 さらば青森、さらば白鳥

蟹田でしばらく時間をつぶしまして、次の列車で移動再開です。

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ここからは再び485系の白鳥。
蟹田木古内間を18きっぷで乗車した場合、前後の乗車券及び特急券を持っていてもその区間にまたがって連続乗車することが許されないので、蟹田で一本待ったわけです。
結果的には485系により多く乗る機会が作れたので良かったのですけどね。
青森から先の乗車券はすでに保有していたので、蟹田→青森の乗車券を追加購入して乗車しました。

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青森到着直前、青森車両センター横を通り抜けると、そこには疎開留置されている11系や651系の姿が。
651系は初めてお目にかかったのですが、初めての姿が疎開留置中の姿というのは少しばかり寂しい・・・

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青森に帰ってきました。
列車はここで進行方向を変え、新青森を目指します。

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隣のホームにはE751系が停車中。
東北地方に足を踏み入れたのが初めてなのだから当たり前ですが、初めて見ました。
特急つがるは今春から青森駅に乗り入れる唯一の優等列車になってしまいましたね。

ほんの少し余裕のある停車時間を終え、白鳥は終着駅新青森に向けて発車。
一駅区間だけですが、やはり後ろ向きに進むのは不思議な感覚・・・

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で、新青森着。

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これで485系ともお別れ。
先日仙台の国鉄色編成もラストランを迎えまして、北から南まで日本全国どこでも見られた485系もいよいよ基本的には終焉を迎えたと言っても過言ではないでしょう。
ジョイフルトレインの形式として残存しているため廃形式とはならないものの、一般的な車両としての485系とは博物館でしか会えないのですね・・・
僕もあと少しで二十歳になる程度のガキですけれど、そんな僕が物心ついた頃にはまだまだ第一線で活躍していた車両たちなのですから、485系に限らず最近の国鉄型撤退パレードには心がズタボロになります、、

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新青森駅構内にはこんなメッセージボードも。
2001年3月に大阪~青森間(15年前にはまだこんな長距離中高列車が走っていたのだから、やはりここ10~20年の変化はでかい)の運転を終了した白鳥の名前を受け継ぎ、2002年12月から運行を開始した(スーパー)白鳥。
新青森発着になったのは5年前の話でしたが、こんなメッセージを作ってもらえるだけ愛された列車だったということでしょうか。

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さて、ここからは新幹線。
この頃の新青森はまだ東北新幹線の終着駅でした。
この2週間後からはさらに北へと足を伸ばすようになりました。

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既に奥津軽いまべつの表記が足されていたのでしょう、上から目隠しがされていました。


さて、E5系に乗り込んで、一気に南を目指します。
今までの僕ならまず新幹線を旅程に組み込むことはないのですが、今回は同行してくれた友達の都合もあって奮発。
早すぎて旅情もへったくれもないわい!と思ってましたが、なんだろう、この快適さに浸かると闇かもしれない・・・

そんな新幹線で、ササササっと青森県をあとにしました。

さて、2日目もぼちぼち終盤です。
春からダラダラ書き続けてきたこの旅も、あと数回で完結に至れそう・・・?