テツの箱をつくる人の徒然

「電車小像の鉄道日記」を放ったらかして1年。ブログ、再開しました。

8月16日、梅小路と北びわこ号。 ⑥

SL北びわこ3号は定刻の14時ちょうどに木ノ本に到着。
この後列車はEF65のお迎えに連れられて米原に戻るわけですが、折り返しの回送が発車するまでには1時間ちょっとの猶予があります。
撮り放題タイムですね。
14時14分に米原方面行き、14時25分には敦賀方面行きの新快速がやってくるのですが、今回は一本やり過ごして、撮り放題タイムを最大限楽しみます。

到着後すぐの機関車周辺はとても混み合ってますので、とりあえず客車の方から眺めていきます。

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青い客車、本当に良いですねぇ。
どうも僕の語彙力が低い為に、この素晴らしさを存分に話し尽くすことが出来ないのがもどかしいです。。
そうですね、まず見てると恍惚とします。永遠にうっとり。

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客車のテールマークも20周年記念仕様でした。
こういう、文字でうまいこと機関車を表現したりするデザイン、自分でも考えられるようになりたいところ。

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使用されている12系は5両とも後期の車両ですが、中でも木ノ本方の緩急車であるスハフ12 155は最終増備車で、顔つきが少し違います。
幌が外付けの露出したタイプになり、後方監視窓も細長く小さめのものになってます。これは50系客車と共通らしいですね。
米原方の緩急車であるスハフ12 129と比べると違いがよくわかります。

車番を撮ったり、台車を眺めたりして楽しんでいると、側面の方向幕がまわり始めました。
東北から九州まで各地の行き先が登場しましたが、そのうちいくつかをピックアップ。

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上野。
先日の臨時北斗星廃止で上野発着の青い客車は消えてしまったわけですが、かつては青い客車も茶色い客車も赤い特急も見放題だったのですよね。
その時代に一度でいいから行ってみたいなぁ(1960年代から70年代を所望)

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青森。
こちらは定期青い客車の最後の砦となってしまいました。
最後の定期青い客車、最後の定期急行などなど、背水の陣感がハンパないですね。
その急行はまなすも恐らく来年の春には消えてしまうわけで、非常に残念だなぁという気持ちは募るばかりです。

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大阪⇔福知山。
福知山線非電化時代の名残でしょうか。「103系113系達が突っ走る中、ゆっくりと大阪駅を出て行く客車列車」なんて想像したらニヤけてしまいますね。
幼き日の我が母親が遥々愛媛から大阪へ出てきて、宝塚歌劇を見に行こうと福知山線に乗ろうとしたら、「電車じゃない!都会に来たのに愛媛と同じのやんけ!」と子供心に呆れたとか言う話はよく聞かされました。

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城崎。
今では駅名が城崎温泉に変わってますから、かつてを偲ぶ懐かし表示ですね。
もっとも、駅名改称は2005年と割と最近の話なので、それほど懐かしいというレベルの話ではないのかもしれませんが。

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宇野。
かつては四国への玄関口として、宇野行きの列車も数多く設定されていたのでしょう。
この春に僕も訪れましたが、今でこそローカル線の末端駅の宇野駅に様々な列車がやって来て、四国へ向けて多くの人々が乗り降りしていたのかなと思うと、感慨深いものがあります。

これもまた、今は亡き懐かし駅名ですね。現在は鹿児島中央と名を変え、新幹線の終着駅としての役を担っているわけですが、こちらも駅名改称はそれほど昔の話ではない2004年のこと。
九州新幹線が開業してもうそんなに経つのか!という感じもしますが、11年というのはいささか早いものですね。

他にも長野とか金沢とか秋田とか色々登場してましたが、きりがないのでこのくらいにしておきます。
幕を撮っているうちに新快速も上下共に発車して人も少なくなってきた感じなので、そろそろ機関車周りを見に行こうと思います。
つづきます。