テツの箱をつくる人の徒然

「電車小像の鉄道日記」を放ったらかして1年。ブログ、再開しました。

画像フォルダから出てきたキハ11形とか。

KATOから2100形が!という記事に載せようと過去の写真を漁っていると、2010年末に伊勢へ旅行に行った時のファイルを発見しました。
この時は家族旅行でしたし、そんな鉄分の多い写真は無いだろうと思いつつもファイルを開いてみました。
すると・・・

イメージ 1
おお、なんとキハ11形が写っておられるではないですか。手前はキハ11-3です。
今月1日にキハ25形が運用開始したことに伴い紀勢・参宮線の運用から撤退(完全撤退ではないようなツイートも見かけますが)した白いキハ11形。
キハ11形というと名松線での運用がふと思い浮かぶのですが、そちらはどうなのでしょうか。この辺いまいち情報をつかめていないのですよ。

イメージ 2
キハ48形も撮ってました。おそらくキハ48 6814と思われます。
「思われます」というのも、当時まだまだ鉄道写真を撮ることに対して知識が浅かった(今も深いとは言えませんが!)僕は、顔の辺りだけ写して満足してしまっていたようで、車番が写っている写真が無いのです。
かろうじてこれは前面の渡り板に表記されている文字をなんとか読み取ってみましたが、あとはワンマン対応だとか雨樋の形だとかで判断していくしかありません。

イメージ 3
キハ48 6...までは写っていたこの写真。
こちらはワンマン非対応で縦の雨樋があり、よく見るとデッキがある車両とわかります。それを鑑みて今も、もしくは最近まで現役の車両から絞り込んでみると、キハ48 6501またはキハ48 6502と判断できました。
ここで、鉄道ファン2011年1月号よりキハ48 6501は当時美濃太田所属だったらしいと判明したので、この車両はキハ48 6502と思われます。
間違ってたら恥ずかしいな・・・
キハ48 6502は現在、国鉄一般型気動車風の塗装になっていますね。

イメージ 4
最後はもう一度キハ11形。一番手前はキハ11-4です。
写真の質は低いですがお許しください・・・

これ以来キハ11は撮影していない(春に美濃太田車両基地をちらっと眺めた時にこっそり写ってましたが)ので、ほとんどこれが最初で最後のキハ11形だったことになります。
キハ40系列よりも先に運用が減るとは予想外でしたが、それぞれ旅立つ先、ミャンマーひたちなか海浜鉄道でしょうか、新天地でも頑張ってほしいものです。
東海事業交通の車両などは残存すると思うので、色は違えど鋼製のキハ11形はまだしばらく名古屋近郊でも見られるのかな。
とにかく、こんな写真が残ってたのは嬉しかったです。