テツの箱をつくる人の徒然

「電車小像の鉄道日記」を放ったらかして1年。ブログ、再開しました。

梅小路へ! ③

さてさて、数ある機関車達を順に見ていきます。

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D51形の改良型として登場したD52形の最終番号機である468号機。
戦時中の資材が無い中で造られた形式の一つで、終戦により製造が打ち切られたこの形式では最末期の1946年製です。
沼津、吹田、姫路と所属区を転々とした後、最後は五稜郭配置だったそう。
北海道での活躍のために耐寒工事がなされており、この写真では見えづらいですがキャブの窓が旋回窓になっています。

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続いて再び戦前生まれの車両、D50 140。
D50形は9900形として1923年から製造された形式で、この140号機は1926年製造の日立製。登場時の車番は19939です。
現存するD50形はこの140号機と北海道北見市に保存されている25号機の2両のみらしく、後継機となるD51などの陰に隠れて目立たなかったという裏付けなのかなぁとも思えてしまいます。
しかし、前形式である9600形よりも性能は大幅に向上、空転しにくい事から勾配線区では信頼が厚く、保守担当員からは整備のしやすさで支持、さらに以後の蒸気機関車設計や地上設備の整備計画の基礎にも影響を与えたという、なんか凄い機関車らしいですね。

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お召仕様の菊の御紋章がまぶしいC58 1。
そもそもの母数が群を抜いているD51と比べたら少ないですが、日本全国各地に多く保存されているC58形のトップナンバー機です。
春に舞鶴で出会った保存機関車もC58でしたね。
太平洋戦争の戦況悪化で製造が中断された期間含め10年近く製造されていた本形式の製造初年は1938年。理系でも知っている日本史でいくと、国家総動員法が施行された年でしょうか。
秩父鉄道パレオエクスプレスとして走る363号機、昨年春からSL銀河として復活した239号機などと同じく、この1号機も当初は動態保存機として復活した1両。未だ現役のC57 1と共に、SLやまぐち号の牽引をしていました。
1989年に車籍を失ってからは静態保存機としての余生を送っていますが、彼の汽笛がC56 160にて現役だそうです。

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C58 1のデフレクターには鳳凰が輝きます。
これはきっとお召列車牽引の大任を担った過去を偲んだものなんだろうなと思ったら、まさかの現役時代にそんな事実は無いとの事。
お召仕様を「想定」した装飾なんですね。この鳳凰かっこいいけど。

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順番に見てきて、いよいよ完全に戦後生まれの機関車です。
現役時代の華々しい活躍から、『デゴイチ』と並んで知名度が高いのではないのかと思われるC62。
このトップナンバー機の1号機は1948年にD52形からの改造名義で誕生、日立製です。
除籍後は保存目的で保管され、後に広島鉄道学園で静態保存、梅小路には1994年にやってきています。
梅小路には動態保存の2号機がいますから、なんとなく人気はそちらへ向いている気がしますね。

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大型の機関車が多い中、コロっと可愛らしいB20 10。
この小柄な感じやB形機関車という点から明治時代頃の機関車かと思ってしまいますが、太平洋戦争末期から戦後にかけて製造された形式。この10号機は戦後の1946年製です。
B20形はその小さな体躯からも察せられるように本線運転用ではなく、構内入換え作業用の機関車。
戦時の低質設計や特殊な立ち位置から整理される時期も早かったらしく、蒸気機関車全廃時には2両が幸運にも残っていたという感じのようです。
最後まで残存した2両はそれぞれ、北海道岩見沢市に1号機が、ここ梅小路にこの10号機が保存されています。
どちらも車籍を失った静態保存機でしたが、10号機は2002年に動態復元が行われ、無火の機関車を入れ換えるなどといった役目を担っているようです。
大型で迫力のある機関車もかっこいいですが、こういう豆っちいのも良いですね。

結構見てきましたが、まだもうちょっと残っています。
ので、まだしばらく続きます。④へ