テツの箱をつくる人の徒然

「電車小像の鉄道日記」を放ったらかして1年。ブログ、再開しました。

梅小路へ! ②

梅小路蒸気機関車館についたのは、開館10分前。
さすがに平日の朝なので、まだ人もほとんどいませんでした。
んーー、本当はこんな時間に俺みたいなのが居てはいけないんじゃ・・・

10時きっかりに開館。一番乗りです!!

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正面には旧二条駅舎が構えます。

この旧二条駅舎内の資料展示室はいったんスルーして、入場券を購入次第すぐに扇形車庫へ向かいます。

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まだ誰もいない扇形車庫でパノラマ撮影。
転車台の真ん中から撮るとより綺麗に撮れるんでしょうが、これでも満足です。

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梅小路蒸気機関車館」としての営業はあと少し。

さぁ、そろそろ機関車達を見ていきましょう!

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扇形車庫の向かって右側から。まずはC51 239。
外見的にはランボード上の手すりが特徴的でしょうか。
C51形は18900形として製造された後に改番されたものであるらしく、この239号機も1927年に汽車会社で38938として製造されたようです。
18900形の製造初年は1919年、最終が1928年との事ですから、割と後期に製造されたグループのようです。
どうやらお召機だったらしく、半世紀以上前の1962年に廃車された後も新潟の鉄道学園で教習用に保存されていたとか。

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続いて、なんだかずんぐりむっくりな印象を受けるC53 45。
1928年に汽車会社で製造されています。
早くも1950年には廃車になり、国鉄吹田教習所→鷹取工場→交通科学博物館(当時は交通科学館)と転々とした後、梅小路へとやって来ています。
交通かが区間へ保存される直前には、復元整備の上本線運転も行われたようです。
現存する唯一のC53だそう。

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C53を見た後だとさらに端正な顔立ちに見えてしまうC59 164。
実際に胴体も長く、スタイリッシュな印象が強いのですが。
これまで他に見た事のあるC59形は九州鉄道記念館の1号機がありますが、そちらは戦前形。この164号機は戦後間もない1946年に製造された戦後形です。
C59形の中では一番最後まで残った3機のうちの1両で、1970年に役目を終えた後は動態保存機として指定され、その後梅小路へとやって来ています。
赤いナンバープレートがかっこいいですね。

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これまで見てきた3機を上から眺めます。
煙突には蓋がされているのですね。埃などが入らないようにするためでしょうか。
重厚感のある車体にリベットや配管、このごちゃっとした感じがたまりません。

ここで容量がいっぱいになってしまったのでいったん区切りますが、まだまだ続きます。ぜひお付き合いください。

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