テツの箱をつくる人の徒然

「電車小像の鉄道日記」を放ったらかして1年。ブログ、再開しました。

特急サロベツ、札幌行き

日本最北端の駅・稚内から、キハ183系の特急サロベツに乗車して札幌を目指します。

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13時44分に定刻で稚内を出発すると、すぐに次の南稚内に停車。
南稚内発車後に、これから先の詳しい案内などが放送されます。
久々に聞いたアルプスの牧場から始まる車内放送、国鉄気動車特急に乗っている感がこれでもかというほど高まって、絶頂寸前です。

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南稚内をでてしばらくすると、景色は一気に自然色豊かに。
抜海までの間には海が見える区間もあります。天気が良いと海越しに利尻富士なども見えるそうですが、残念ながら天気が崩れてきてしまいました。
午前中のうちに野寒布岬で島を拝んでおけて良かった良かった。

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車窓から足元に目を移すと、そこにはコンセントが。おかげで携帯の充電も心配なしです。
キハ261系化されてしまって失われてしまうこの装備は、車両は新しくなっても、時代には逆行してしまう形になりますね。

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出発から1時間ほどで幌延に到着。ここからはかつて、留萌までの羽幌線が伸びていました。
今回の旅では天北線をバスで辿るルートで北上しましたが、やはりこの羽幌線も、代替のバス路線が運行されています。
しかし、鉄道全盛期時代の北海道の路線図を見ると開いた口が塞がりませんね。天北線や羽幌線を含め、それこそクモの巣のように鉄道網が広がっているのは圧巻です。

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幌延から先は天塩川に沿って、川の上流方面へと列車は進んでいきます。
天塩川天塩岳を水源にして日本海へ注ぐ川で、その全長が256km。これは北海道内では石狩川に続いて2番目、全国でも4番目の長さになります。

幌延からさらに1時間ほど進んで、少しうとうとしていた間に列車は音威子府へ。
これで、2日前に乗車した区間と合わせて、宗谷本線完乗達成です。
その後も列車は順調に南下し、名寄には定刻で到着しました。

ここまではきっちり定刻で運転していたのですが・・・
本来ならばとっくにすれ違っているはずの下りサロベツが、どうも札幌出発時点で100分ほどの遅れを出していた模様。
調べたところによると、苗穂を出区するタイミングでなにやら車両故障が発生したようで、その後まるっと編成を変えてから出発することになったみたいです。

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すれ違うタイミングの調整のためか、こちら側にも若干の遅れを出しつつ、結局風連で行き違い。この時点で向こうは95分遅れだったそうです。
うーむ、やはりキハ183系はもうかなりガタがきているのでしょうかね・・・

そんな老いを隠せないサロベツも、名寄を過ぎてからは乗客がどんどん増えてきて、すっかり陽も落ちた頃に到着した旭川では自由席で立ち客まで出ていたようです。
旭川~札幌間はやはり特急の乗車率が非常に高い区間なのでしょうね。
自由席の数が少ないキハ183系充当のオホーツクやサロベツより、これらを旭川始発にして、旭川までのドル箱区間は両数を増やしたライラックで!という施策は実情に見合っていて、利用客側からもおそらく歓迎される快晴だったのではないかと思います。

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旭川を出てからは車窓を楽しむには外も暗く、再びうとうと。気づけば札幌到着目前。
最北の駅稚内から5時間半、(所々寝た時間もありましたが)退屈さを感じることもなく、あっという間でした。
荷物をまとめて降車すると、やはり先頭部分では撮影大会が繰り広げられており、もちろん私も参戦。
しばらく待っているとヘッドマークの幕が回り始め、「利尻」などの表示を見せつつ、最終的には「まりも」で落ち着きました。
これはファンサービスなのかなんなのか、しょっちゅう見られる光景なようです。

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今回私が乗車した車両でもある、最後尾の貫通型はサロベツのまま。
サロベツの運用が終わった今、座席数や装備で他と異なる形態であるこの車両がどのように過ごしているのかはわからないですが、まずはスラントノーズの初期車を置き換えていく形になるのでしょうか?
もしかすると、いつかオホーツクや大雪に乗りに行こうとした時に遭遇するかもしれねいですね。


いっぱい乗った者勝ち、のような乗りっぱなしの旅が多い私ですが、この日の大きな移動はこれで終わり。
ゴムタイヤが独特な札幌市営地下鉄ですすきのへ移動して、宿へと向かいました。

続きます。