テツの箱をつくる人の徒然

「電車小像の鉄道日記」を放ったらかして1年。ブログ、再開しました。

稚内で朝散歩!

この旅行も3日目に突入。早いもんですね。
この日は朝がのんびりだったので、荷物を宿に預けさせてもらって、身軽に稚内をぶらぶら歩いてみることにしました。

イメージ 1
5年ほど前に改装されて、映画館や道の駅などとの複合施設に生まれ変わった稚内駅からお散歩スタート。めちゃ綺麗な駅舎ですね。
「日本最北端の線路」のモニュメントを見ていると、改めて、ついに来たぞー!感が込み上げて来ます(音威子府からはバスで到達したわけですが・・・)

イメージ 2
まずは北防波堤ドームへ。駅から北にちょっと歩くと見えてきます。
エンタシス(小学校だか中学校だかで習ったなぁ)が用いられた柱が70本、400m以上に渡って並ぶ姿は壮観ですね。
その名の通りに防波堤なのですが、かつてこの付近にあった稚内桟橋駅から船までの乗り換え通路としての役割も担っていました。今でこそ船への連絡通路としての役割はないでしょうが、散歩している人とかは結構いました。

イメージ 3
1996年まではC55形49号機が保存されていたらしいのですが、さすがにここまで海に近いところだと塩害がひどかったようで、今では動輪だけが残されています。
古い航空写真を調べてみると、この辺りまで線路が延びて来ていたようです。稚内の駅構内扱いだったそうですが、港に接続する駅はそういう扱いが多いですね。
高松桟橋駅とか小松島港駅も同様なスタイルだったと認識しています。

イメージ 4
桟橋には海上保安庁の船が係留していました。
かつてはここから樺太の大泊へ向かう稚泊航路が出ていたんだなぁと想いを馳せたり。

イメージ 5
続いて、港の背後にそびえる台地にある、稚内公園の方へ。
しかし、この時期はどうも公園まではたどり着けないらしく、手前にある北門神社にお参りするにとどめておきます。
上まで登ると稚内の街を一望できるらしいのですが、これは次回に持ち越しです。

かなり雪に埋もれた神社でこの先の安全をお祈りした後は、のんびり南の方に向かって歩きます。

イメージ 6
お、なんだか踏切の鳴る音がするぞ・・・?と線路に近づくと、キハ54がやって来ました。
10時52分発の名寄行きで、おそらく南稚内の車庫から回送されて来たのかと。
これの次の列車は3時間後、普通列車に限れば6時間半後という本数のなさっぷりです。

イメージ 7
さらにテクテクと歩いて、稚内から3キロ弱の場所にある南稚内駅へ。
当初稚内駅として開業したのがここで、現在の稚内駅が稚内港駅として開業する1928年までは日本最北の駅でした。
さらに、音威子府から分岐した天北線が再び合流していた駅だったり、付近に車庫があったりと、結構規模の大きな駅です。
駅周辺も港メインな稚内周辺よりも市街地だなという感じで、ファストフード店など生活に密着した感じのお店はこちらに多くありました。

わざわざ最北の地に来たのだから、あえて何かファストフードを食してやるぞ!と意気込んで、すき家で牛丼を食べたり。

このあとはバスに乗って稚内の駅に戻ろうと思っていたのですが、来たバスがちょうどノシャップ行きだったので、時間もあることだから行ってみようと、野寒布岬を訪れてみました。

イメージ 8
北海道の先端に飛び出た二つの岬のうち、宗谷岬のもう片割れの野寒布岬。
根室半島の先端にある納沙布(ノサップ)岬と読み方が近くてちょっとややこしいですね。納沙布の方は北海道本島の最東端の岬となります。

イメージ 9
遠くには利尻島も見ることができました。
宗谷本線の列車からも、南稚内~抜海間で望むことができる(こともある)利尻富士ですが、このあと実際に列車に乗った際には天気が崩れて見ることは叶わなかったので、ここで拝めてラッキーでした。
季節のいい時期に、利尻島礼文島も訪れてみたいなと思います。

イメージ 10
防波堤ドームや南稚内、野寒布岬と巡って、再び稚内駅へ戻って来ました。
そろそろこの日乗る列車のやってくる時間も近づいて来ましたし、ホテルに預けていた荷物を受け取って、これからの列車旅に必要な物資を調達します。

イメージ 11
さてさて、ワクワクの列車旅が始まります!

続きます。