テツの箱をつくる人の徒然

「電車小像の鉄道日記」を放ったらかして1年。ブログ、再開しました。

北の端へ!

音威子府から宗谷バスの天北宗谷岬線に乗って、中頓別、浜頓別、鬼志別とズンズン進んで来ました。

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鬼志別のターミナルから再び国道238号に戻り、オホーツク海を右手に見ながらひた走ります。

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海岸沿いですが、結構アップダウンのある道です。

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鬼志別から乗客が私一人になって、運転士さんが声をかけてくれたり。
「今日は天気がいいから、何日かぶりにサハリンが見えると思うよ」なんて言ってくれて期待していたのですが、その通り、海の向こうにはっきりと見えました。
一旦台地に上がった後、再び海岸線に向かって下りる部分を通ったのですが、運転士さん曰く、ここが一番大きく樺太を望めるポイントなのだとか。
徐行して写真を撮る時間を確保していただいたり、優しい運転士さんでした。

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そして、ついに宗谷岬のバス停に到着。
ここから稚内方面に乗る人は結構いましたが、乗って来たのは私だけなので、もちろん下りるのは私一人。

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いやー、やってきました。我々民間人が到達できる日本最北の地、宗谷岬です。
冬の宗谷海峡を挟み、遠い向こうには樺太の島が見えます。
日本による実効支配が及ぶ範囲ではこの岬よりももう少し北に岩礁が、そして北方領土を含めると択捉島の北端が日本の最北端なのですが、ひとまずは日本最北の地に来た!!と感激しておきます。やったぜ。

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最北端記念碑のすぐそばには、樺太の測量、そして間宮海峡の発見で知られる間宮林蔵の立像があります。
その顔は樺太を見据えた方向を向いているんだそうで。

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岬の背後にそそり立つ高台の上には、旧帝国海軍が設置した監視塔、海軍望楼が残っています。1902年、ロシア帝国との関係が悪化した際に建造されたもので、稚内市に唯一現存している明治時代の遺構だそうです。
これが造られた2年後、日露戦争が勃発することになります。

他にも様々な記念碑や塔がありますが、これらはどれも、もう少しいい季節に来ないとひたすら寒すぎて、まともにのんびり観察する余裕が生まれません^^;

ところでこの高台は宗谷丘陵という丘陵地帯の先端なのですが、この宗谷丘陵、ほとんど樹木が存在しないことから周氷河地形と呼ばれる地形を肉眼で観察できることで有名で、地理大好き勢としてはなかなかに興味深い場所なのです。
・・・が、やはり寒さと雪に阻まれて、そこまで観察しに行く余裕がありませんでした。。残念。

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次のバスまでは2時間45分ほど待ち時間があって、その間に日没を迎えることになりました。
最果ての地で望む夕暮れは少し雲が多くなってしまいましたが、これはこれでなんだか幻想的な雰囲気に。

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17時15分過ぎ、礼文島(だと思う)の少し北側に、太陽は沈みました。

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日没後はさらに30分ほどのバス待ち耐寒耐久レースをぼっち(途中からフランス人の親子もいたけど)で切り抜け、もはや手も足も感覚がないような状態でバスに乗り込みました。

これにて2日目の旅も終了。稚内までバスに乗車し、ホテルに直行しました。
念願の音威子府そばや想像以上に快適だった長距離の路線バス、訪れてみたかった宗谷岬など密度の濃い1日でしたが、一つだけわかったのは、この時期に宗谷岬で3時間弱もバス待ちをしてはいけないということですね。死ぬかと思いました、マジで。
もし宗谷岬へバスで行かれる際は、もう少し暖かい時期に行くか、稚内から宗谷岬を往復する形で訪れるべきだと、強くお勧めしておきます。

続きます。