テツの箱をつくる人の徒然

「電車小像の鉄道日記」を放ったらかして1年。ブログ、再開しました。

9月3日 18切符を消化せよ! ③

只見駅から代行バスに乗って、只見線の運休区間を進んできました。

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会津川口からは再びキハ40に揺られます。車両と駅名標をからめて。

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小出方面を眺めます。ここから只見駅までの区間を列車が走らなくなって5年。
もしかすると廃線になってしまうかもしれない、そうなってしまう前に、代行バスでもいいから乗っておこう。そう思い立ってやってきた只見線ですが、やはり乗るならしっかりと列車で走破したいところ。やはり、時間がかかっても復活を願いたいです。

景色と絡めて美しいことで有名な、ぜひとも外から眺めてみたい第三只見川橋梁や第一只見川橋梁を走り抜け(第一只見川橋梁は今月17日の日経プラスワンで紹介されていましたね)、列車は会津若松へ。

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17時を回り、日も傾き始めた頃に到着です。
新潟や(青森を除く)東北方面へ来るのは初めてなので、只見線区間で乗ったキハ40たちの塗装を見るのもこれが初めて。
日本全国津々浦々で走るキハ40系列ですが、東北地域本社色、結構好きです。

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白虎隊と赤ベコが出迎えてくれる駅、会津若松
今回(と、また2週間後に来ることになる日)は1時間足らずしか滞在できなかったのですが、会津若松の街はしっかりと散策しに来てみたい場所。
金沢から決して来にくい場所ではないので、いつかはここを目的地にして旅をしたいと思います(同じような決意をしている場所は他にも多々ありますが)。

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ここからは、磐越西線の東半分となる区間に乗車。
集団見合い式の固定クロスシートという、ずいぶん見慣れない室内配置なのには驚きました。この座席配置は苦手でした・・・

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外も暗くなってきて、あまり車窓を拝むことはできないまま終点の郡山へ。

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さらに列車を乗り継ぎ。
東北本線で北上し南部東北を移動するルートか、水郡線で南下していわきで一泊、翌日関東方面を目指すかいうプランで悩んでいたのですが、結局北上ルートを選択。
どこかで非常停止警報装置が扱われたとかで郡山発車が15分少々遅れるといったトラブルはあったものの、特に問題はなく福島へ向かって北進。

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福島からは、奥羽本線山形新幹線乗り入れ区間である、通称山形線に乗り換え。
これがこの日乗る最後の列車となりました。

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先ほどのった719系と見た目はほとんど変わりませんが、やはり軌間の違いはよくわかります。明らかに広い。
特に違和感があるというわけではありませんが、やっぱりJR(在来線)の広さじゃねえなぁくらいの感想は抱きました。

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板谷峠を越えて山形県へ。この日の宿は米沢で取りました。
街灯の明かりも相まって、なかなかいい雰囲気を醸す米沢駅舎。
伊達政宗の出身地というこの街、ここもまた宿泊するだけでほとんど全く観光をしなかったのですが(乗ってばっかりっていう・・・)、そのうちまた、米沢牛を食べにでも訪れたいところです。

駅から結構歩いたところにあるホテルで一泊して、翌日に備えます。
旅はまだまだ続く。