テツの箱をつくる人の徒然

「電車小像の鉄道日記」を放ったらかして1年。ブログ、再開しました。

8月23日 金沢へ戻る。 ①

関東や愛媛を経由して大阪の実家へ帰省。その後一週間ほど実家に滞在し、高校時代の友達と会ったり、家族と出かけたりとのんびり過ごしまして、金沢に戻る日を迎えました。
大阪から金沢へ向かう時、鉄道利用で一番単純なのはサンダーバードでひとっ飛びでいく方法。今回は18きっぷを利用するので、その場合は新快速で敦賀まで行って、その後ひたすら北陸本線を北上するのが素直なルートです。
しかし、そんな素直な戻り方をするほど真っ直ぐな性格をしていないのが私です。
サンダーバードなら2時間半、特急不使用でも5時間ほどで走破できる距離ですが、そこを大きく遠回りして、二日かけて金沢を目指すことにします。

さて、とりあえず実家を出たら、北へ・・・は向かわず、南下します。

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最新車、225系5100番台の紀州路快速に揺られ、和歌山へ。

もうこれでおよそルートがわかるのではないでしょうか。
そう、紀伊半島をぐるーっと経由して北陸を目指すのです。

和歌山から先の紀勢本線に乗車するのは初めて(和歌山~和歌山市間もこの夏に乗車しましたが、その話はまた別に書く気になれば書きます)です。

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次に降り立ったのは御坊。
JRのホームの端に、ミニマムなローカル鉄道、紀州鉄道のホームがちょこんと備えられています。
中学時代に通っていた塾に御坊出身の先生がいて、紀州鉄道の話はよく聞いたものでした。その影響か、その頃から一度来てみたかったのです。
ここから出る列車はしばらくないのですが、西御坊から御坊へとやってくる次の列車がちょうど、JRのここからさらに先へ行く次の列車に接続するダイヤだったので、それに乗るべく、西御坊まで3キロ弱の距離をお散歩します。

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本当に現役路線か?とも思ってしまうような、草に覆われた線路。
しかし、不思議と引き込まれる風景でもあります。
絶え間なく列車がやってくるような路線も楽しいですが、こういう、ゆったりした時間が流れるような情景もまた、見ていて楽しいものですね。

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南海の学文路駅やJR四国学駅などと並んで受験シーズンの強い味方となる、学門駅を通り過ぎると、紀州鉄道の中心駅の紀伊御坊駅はすぐそこ。
留置されているキハ603や、キテツ2の姿が見えますね。

紀伊御坊駅に立ち寄って、硬券の入場券や乗車券を記念に購入。
のんびりお買い物をしているうちに時間がなくなってしまったので、小走りで西御坊駅を目指します。

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西御坊には、発車時刻数分前になんとか到着。
停車中の車両は、今年初めから営業を開始した信楽高原鉄道SKR301改め、KR301。
車体塗装も形式も、信楽高原鉄道時代とほとんど変わりないですね。
駅と車両のサイズ感がなんとも合っていなくて面白いです(駅が小さい)。

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車両後方すぐには車止め。しかし、線路はその奥へまだ続いています。
これは、1989年に廃止になった日高川駅までの線路跡。
画像中央、車が数台停められている舗装部分も実は線路跡で、こちらは大和紡績の工場へ引込み線があった跡。その当時は貨物輸送が行われていたそうです。

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僕以外に乗客は一人(学門で降りた)だけ、運転士も結構ラフな格好で、なんとものんびりとした空間の流れる車内でした。
もはや鉄道事業は「鉄道」の名前が欲しい不動産業者の副業的なレベルの収益だそうで、路線が生き残っているのも奇跡かのように感じられました。しかし、こののんびりした空気、これはいつまでも残って欲しいと、心からそう思ったのでした。

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短い短い紀州鉄道の旅を終えると、再び紀州半島ぐるっと旅が再開します。
御坊から先は、阪和線103系・・・じゃなくて、顔には全く形式の面影が無い113系に乗車します。

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太平洋が車窓いっぱいに広がる区間が増えてくると、紀伊田辺に到着。

次の列車までしばらく時間があるので、少し駅前をぶらついてみることにします。
続きます。